ヤセの断崖と地震・崩落の歴史|現在の姿を知り私たちにできること

石川県能登半島を代表する景勝地のひとつ「ヤセの断崖」は、その名を聞くだけで訪れた日の情景や映画・小説の場面を思い出す方も多いのではないでしょうか。
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かつては高さ35メートルの岩盤の先端まで歩くことができ、日本海の大パノラマとスリルを同時に味わえる特別な場所でした。
しかし、2007年と2024年に能登半島を襲った2度の地震を経て、その姿や観光の形は大きく変わってしまいました。
本記事では、このヤセの断崖と地震の歴史と現在の姿を見ながら、いまだ被災地の復興が続く中、私たち一人ひとりができる支援の形について考えていきたいと思います。
ヤセの断崖とは
石川県羽咋郡志賀町に位置する「ヤセの断崖」は、能登半島の日本海側に広がる景勝地・能登金剛を代表するスポットです。
高さおよそ35メートルの切り立った断崖に立つと、身が「やせる」思いがするというところからその名が付いたと言われており、この断崖の眼下に広がる紺碧の海と白い波の迫力と美しさは、四季や天候によって一層際立ち、多くの旅人を魅了してきました。
この地が全国的に知られるきっかけとなったのが、松本清張の推理小説『ゼロの焦点』です[1]。
物語のクライマックスで描かれたスリリングな断崖の情景は、多くの読者や映画ファンの印象に残り、観光地としての知名度を高めました。
かつては岩盤の先端まで歩くことができ、眼下に広がる日本海を間近に感じられる刺激的な体験が人気を集めていました。
しかし、この断崖は美しさの裏で地盤が脆く、長い年月の中で幾度も地震や自然災害の影響を受けています。
現在は安全対策が施され、展望台からゆったりと眺められる景勝地となりましたが、その姿の背後には地震の記憶が色濃く刻まれています。
ヤセの断崖と地震の歴史
能登半島の日本海側にそびえるヤセの断崖は、美しい景観と同時に、2度の大地震によって形を変えてきた場所です。
ここでは自然の力がヤセの断崖をどのように変えてきたのかを見ていきましょう。
歴史的に地震被害を受けやすい地形だった
ヤセの断崖は、長年にわたり波の侵食や風雨によって削られた結果、現在の切り立った形が作られました。
しかしこの造形は同時に、地盤がもろく揺れに弱いという特性も併せ持っています。
能登半島は地殻の動きが活発な地域で、過去にも複数回の大地震に見舞われてきました。
断崖の岩盤は強い揺れや地殻変動の影響を受けやすく、とくに海に突き出した先端部分は崩落の危険性が高い場所です。
小さな亀裂や侵食の蓄積が、一度の地震で大規模な崩れを引き起こすことがある、自然の力によって形を変え続ける場所と言えます。
2007年の能登半島地震で受けた被害
2007年3月25日、能登半島を震源とするマグニチュード6.9の地震が発生しました。
最大震度は6強。志賀町や輪島市などを中心に広い範囲が強い揺れに襲われ、建物や道路にも多くの被害が出ました。
ヤセの断崖もその揺れから逃れることはできませんでした。
特に顕著だったのは、断崖の先端部分の大規模な崩落が起こり、その衝撃で海水が茶色く濁る現象が発生しました。普段は青く澄み切った海が、一転して荒々しい表情を見せた瞬間でした[2]。
この先端部は、松本清張の小説『ゼロの焦点』の舞台としても知られ、スリリングな景観が観光客を引きつけていました。
しかし、その象徴的な風景はこの地震で失われ、以降は立ち入りが禁止されることになります。
安全確保のため展望台が新設され、観光は崖の先端まで歩くスリルから、離れた場所から雄大な景観を楽しむ形へと変わりました。
記憶に新しい令和6年能登半島地震の影響
ヤセの断崖に再び大きな影響を与えたのは、私たちの記憶にも新しい2024年(令和6年)1月1日、能登半島北部を震源とするマグニチュード7.6、最大震度7の大地震でした。
新年の幕開け直後の大災害は、日本中に衝撃を与え、被災地では甚大な人的・物的被害が報告されました。
ヤセの断崖自体は、大きな崩落こそ免れたものの、周辺の観光施設や道路が深刻な被害を受けています。
また、近隣に位置する観光名所である「トトロ岩」では片耳部分が崩れ落ち、その独特な形状が損なわれてしまいました。同じく珠洲市の「見附島」も、この地震によって一部が崩落したことは大きな話題となりました。
お宝エイド参考記事:見附島の魅力を再確認!能登半島地震で崩落した現在とこれから
大地震から1年半が過ぎたヤセの断崖の現在(いま)
令和6年能登半島地震から1年半が経過した今、ヤセの断崖は観光地として徐々に落ち着きを取り戻しつつあります。
断崖そのものは大きな形状変化を免れ、かつての迫力ある景観を保っていますが、観光環境は以前とは大きく異なります。
2007年の地震後に整備された展望台や断崖上に沿って繋がる「義経の舟隠し」は立ち入ることができる一方、周辺の観光施設や道路はまだ完全には復旧していません。
それでも、地域の方々や自治体、観光関係者の努力によって少しずつ受け入れ体制は整いつつあり、季節ごとに開催されるイベントや観光案内も再開されはじめました。
観光客が安心して足を運べるようになるまでにはもう少し時間を要しますが、ヤセの断崖は今も能登半島の象徴的存在として、多くの人に訪れる価値を持ち続けています。
地震と共に歩んできたヤセの断崖。能登復興に向けて私達ができること
ヤセの断崖は、二度の大地震で自然の力にさらされながらも、その姿を保ち続けてきました。
2007年の能登半島地震で象徴的な景観を失い、令和6年の地震では周辺施設や交通網に深刻な影響が出ましたが、それでも、この地は地域の方々の努力と、訪れる人々の思いに支えられて、少しずつ再び息を吹き返しています。
復興には時間がかかりますが、私たちにも関わる方法はあります。
たとえば、被災地支援のための寄付や、通販などを通じて現地産品の購入することも、直接的な経済的支援になります。
また、実際にこの地に足を運び、宿泊や飲食を通じて地域にお金を落とすことだけでなく、写真や体験を通じてSNSなどを通じて発信し、能登の魅力を広めることもまた、私たち個人でできる復興支援の方法ではないでしょうか。
現在、能登半島各地の被災地では様々な支援が行われていますが、一例として下記のNPO団体が災害発生直後から避難所で水や衛生用品等の物資配布をはじめとした支援活動を行っています。
- 認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパン:石川県輪島市を中心に食品・水等の物資配布や炊き出しを実施中
- AAR Japan[難民を助ける会]:輪島市、珠洲市で炊き出し、県内各地の障がい者施設に支援物資配布
- NPO法人フードバンクとやま:水や食品の寄付、現地で炊き出しする団体への食品や備品の寄付
- 公益社団法人日本国際民間協力会(NICCO):輪島市を中心に生活物資や食料の配布
- 特定非営利活動法人ジャパンハート:能登町、輪島市を中心に要配慮者用支援物資の提供および避難所での医療分野における人的支援
- シャンティ国際ボランティア会:県内で支援物資の配布
いまだ被災地の混乱は完全に収まっていないため、個人としてどのような支援をするのが良いのか、自分には何ができるのか、とお考えの方も多いかもしれません。
お宝エイドでは、上記でご紹介したような、被災地で復旧活動や被災者のサポートを行っているNPOの活動を支援する形で、能登半島地震への支援へとつなげています。
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<参考文献>
[1] 新潮社,「『ゼロの焦点』 松本清張」,available at https://www.shinchosha.co.jp/book/110916/
[2] 北陸中日新聞Web,「無惨 ヤセの断崖 岩の一部崩れ 海水が茶色く:能登半島地震特集」,available at https://static.chunichi.co.jp/hokuriku/archives/hknotoeq/list/200703/CK2007032902104837.html
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