お宝エイド

新着記事

NEW ENTRY

物品寄付

加山又造とはどんな画家?人生を紐解きながら代表作・作品価値を知る

#アートの寄付に関連するお宝エイド記事一覧#絵画の寄付に関連するお宝エイド記事一覧#絵画の歴史や価値に関連するお宝エイド記事一覧

大切な方の遺品を整理していると、思いがけず価値のありそうな絵画が出てくることがあります。

● お宝エイドのワンポイント

お宝エイドでは郵送いただいた「お宝」を換金し、ご指定いただいたNPO団体の活動原資として送り届けます。この機会にお宝エイドでの支援活動をはじめてみませんか。


寄付できる物品一覧を見る


支援先のNPO一覧をみる


寄付方法を見る


※もし、ご支援される際に「譲渡所得税」や「寄付金控除」についてご心配の場合は、ご支援される団体様までお問合せください。

突然手元に現れた作品を前にすると、「どなたの絵なのだろう」「この絵にはどんな背景があるのだろう」と、静かな興味と少しの戸惑いが入り混じったお気持ちになる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

もしその絵が「加山又造」の作品である可能性があると知ったなら、なおさら確かめたい思いが深まるかもしれません。

加山又造は、昭和から平成にかけて日本画の新しい表現を切り開いた画家で、現在でも高く評価され続けています。作品の魅力だけでなく、市場での価値や買取価格が気になる方も多い画家のひとりです。

この記事では、加山又造がどのような人生を歩み、どんな作品を残してきたのかを、初めて触れる方にも分かりやすくお伝えします。

お手元の絵を確かめる際の参考にしていただけるかと思います。

加山又造の生い立ちと芸術的背景

加山又造という画家の歩みをたどると、日本画の伝統を現代へとつなぐ大きな流れが見えてきます。

昭和から平成にかけて活躍した彼は、どこか神秘的で大胆な作風を築き、多くの鑑賞者を魅了してきました。

生涯を通じて創作の姿勢がぶれなかったことも特徴的で、その価値は今も揺るぎません。

ここでは、彼がどのような環境に生まれ、どのように芸術家として育っていったのかを見ていきたいと思います。

芸術家一家に生まれた環境

加山又造は1927年に京都・上京区で生まれ、幼い頃から芸術と深く関わる環境に身を置いていました。

祖父の田辺玉田は広島を中心に活動した日本画家で、父の田辺勝也(後の加山勝也)は、西陣織の図案家として活躍していました。

幼くして華やかな文様を生み出す仕事に触れて育ったことで、装飾性のある構図や、細部にまで神経を行き届かせる姿勢が自然と身についていきました。

幼少期〜青年期に育まれた創作の基礎

物心つく頃には筆を取っていたと言われるほど、絵を描くことが身近にあった加山又造にとって、創作は生活の一部のようなものでした。

周囲の大人たちが作品と向き合う姿を見て育ったため、自然への眼差しや美しさを捉える感覚が早くから磨かれていきます。

京都市立美術工芸学校で、絵画の基礎をしっかり身につけ、その後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科に進学しました。

ここで日本画家・山本丘人に師事し、精神性を重視する作風に触れたことが大きな転機となりました。

若き日の挑戦は常に真剣で、既存の表現にとらわれず、新しいものをつかみ取ろうとする意欲に満ちていました。

この姿勢は後の「現代の琳派」と呼ばれる独自の世界観へと確実につながっていきます。

加山又造に影響を与えた戦争体験

加山又造の作品の奥に潜む緊張感や、静けさの中に宿る生命力には、戦争体験が深く関わっていると語られています。

少年期を戦時下で過ごし、終戦間際には学徒動員で山口県の周防大島にいました。

そこで目にした広島原爆の衝撃は、彼の人生観だけでなく作品の精神性に大きな影を投げかけることになります。

1945年8月6日、瀬戸内海に見た原爆雲

1945年8月6日、加山又造は学徒動員中の周防大島で、遠く瀬戸内海の向こうに広がる広島原爆のキノコ雲を目撃しました。

まるで空が燃えるような衝撃的な光景だったといわれ、後に本人も「晴天の遥か彼方に、ピンク色の丸い雲がぽっかりと浮かび、地鳴りのような轟音が空気を揺るがした。」と語っています[1]。

直接被害を受けたわけではありませんが、あの日に見た爆発の気配や空気の震えは、若い感性に深い爪痕を残したようです。

生と死が隣り合わせにある現実を強く意識した体験は、後の作品にどこか緊張感のある構図や、静けさの中に潜むエネルギーを刻み込む要因となりました。

「敗戦の記憶」が作品に与えた精神性

敗戦の知らせを受けた時、加山又造はまだ十代でした。

国全体が不安と虚無感に包まれる中で青春期を迎えたことは、彼の創作の根本に大きく影響しています。

華やかな装飾性を持つ作品が多く見られる一方で、その裏には深い静けさが漂っています。

これは、戦争で感じた喪失感や、人間の弱さを知ったからこそ生まれる表現が隠されているのかもしれません。

戦後の日本画は新しい方向性を模索する時代で、若い画家たちが伝統と革新の間で揺れていた時期でもありました。

加山又造の画家としてのキャリアと美術界への影響

戦後の混乱を生き抜いた加山又造は、若くして画壇に頭角を現し、日本画の新しい方向性を提示する存在へと成長していきました。

作品の完成度の高さだけでなく、教育者として後進を育てた姿勢も評価され、戦後日本画の発展に大きな足跡を残しています。

ここでは、彼がどのようにして美術界で存在感を確立していったのかを順を追って振り返っていきます。

1950年「自画像」「動物園」での初入選

加山又造が正式に画壇へ踏み出したのは、1950年の春季創造美術展でした。

この時に出品した「自画像」と「動物園」が入選し、研究会賞を受賞するという見事なデビューとなります[2]。

研究会賞の受賞は、若手画家としての立ち位置を確立する重要な出来事でした。

この賞は技術だけで判断されるものではなく、作品に宿る独自性や方向性が評価されなければ受賞には至らないため、又造の創作がすでに他の画家とは一線を画していたことがわかります。

その後も、伝統的な日本画の枠にとらわれない姿勢が高く評価され、多くの展覧会で実績を積み上げていきました。

加山又造が「現代の琳派」と呼ばれた理由

加山又造の作品を語るうえで欠かせないのが、「現代の琳派」といった呼び名です。

これは、江戸時代の琳派が持つ優雅で装飾的な美を、現代の視点で再解釈し、新たな魅力として表現したことに由来します。

単に伝統を引用するのではなく、自身の感性と結びつけて昇華している点が、又造の大きな特徴といえるでしょう。

琳派の伝統美×現代的センスの融合

琳派といえば俵屋宗達や尾形光琳など、装飾性や金銀箔の使用で知られる流派です。

加山又造の作品には、琳派に通じる大胆なデザイン性を持ちながら、現代的な洗練も感じられる点が魅力です。

花鳥画や動物モチーフの作品では、細部にまで緻密な表現が行き届きながら、画面全体は静かで落ち着いた調和を保っています。

琳派を“模倣”ではなく“継承と発展”として捉えている姿勢が高く評価され、現代における日本画の可能性を広げた存在として語られるようになりました。

伝統を現代に活かす難しさを乗り越えた点が、又造の大きな功績です。

「現代日本画壇の錬金術師」と称された独自の世界観

1970年代の後半から、加山又造は水墨画にも積極的に取り組むようになります。

色彩豊かな作品とは異なる、硬質で引き締まった表現を追求した時期であり、線の勢いや濃淡の変化を利用して力強い世界を描き出しました。

加山又造は、伝統と革新を自由に行き来しながら、自分にしか作れない世界を築いていきました。

その創作姿勢が「現代日本画壇の錬金術師」と呼ばれる所以です[3]。

自然や動物を描いた作品では、対象の生命力と神秘性を見事に融合させており、静かに佇む中にも力強さが息づいています。

また、天井画や企業のデザインにも携わるなど、活動領域が非常に広かったことも特徴的です。

作品を見るたびに異なる魅力が浮かび上がるのは、彼が生涯をかけて多方向から美を追求し続けた結果と言えるでしょう。

加山又造の代表作と買取価値

加山又造の代表作には、下記の作品が知られています。

<加山又造の代表作>
・春秋波濤(1966年)
・雪(1978年)
・月(1978年)
・花(1978年)
・黄山霖雨(1982年)
・黄山湧雲(1982年)
・墨龍(1984年)※久遠寺大本堂天井画
・雲龍図(1997年)※天龍寺法堂天井画
・濤と鶴(1990年代)※ブリティッシュ・エアウェイズ尾翼デザイン
・牡丹図(制作年不詳・代表的花鳥画シリーズ)

加山又造の作品は、美術館に収蔵される大作から、市場に流通する版画まで幅広く残されています。

どの作品にも彼の独自の美意識が息づいており、近年は国内外で再評価の動きが加速しています。

買取市場ではサイズや状態によって異なりますが、日本画の原画は数百万円以上になることも珍しくありません。

版画作品においては人物画で数万円、動物画になると状態が良ければ数十万円で取引されており、題材や制作年によってはさらに高額になることがあります。

2004年に亡くなってから20年以上経った現在もなお、加山又造の作品価値は変わらず、いや年を重ねるたびに高くなっていると言えるでしょう。

お役目を終えた絵画をお持ちなら。支援寄付という新たな価値を

加山又造の作品が今なお多くの人々を惹きつけるのは、伝統と革新を見事に融合させた独自の表現にあります。

日本画の美しさを継承しながら、現代的な視点を取り入れ、時代に左右されない普遍性を確立した点が大きな魅力です。

また、戦争体験を背景に持ちながらも、自然や動物の生命力を力強く描く姿勢は、時代を越えて共感を呼び続けています。

教育者として多くの後進を育てた功績も大きく、作品だけでなく考え方そのものが現代の日本画に影響を与え続けています。

絵画の価値は作家の人生の足跡とともに残り続け、時の経過とともに上がっていくものです。

しかしながら、絵画の価値は残り続けても、あなたにとっては年を重ねるとともにお役目を果たすタイミングも少なからずやってくることでしょう。

もし、そうした絵画を遺品整理や断捨離を機に手放すのであれば、価値を必要としている方にぜひつなげて頂ければと思います。

お譲りできるご家族やご友人へ、あるいは買取を通じて新たな方の元へなど、価値のつなげ方は色々とありますが、お宝エイドでは、支援寄付という新たな価値を生み出す活動を行っています。

あなたがこれまで手にしてきた絵画を通じて、この機会に社会貢献へとつなげてみませんか。

● お宝エイドのワンポイント

本記事で紹介した「加山又造」をはじめ、お宝エイドでは様々な物品を通じたNPO団体の支援を行うことが出来ます。お宝エイドでは郵送いただいた「お宝」を換金し、ご指定いただいたNPO団体の活動原資として送り届けます。あなたもお宝エイドでの支援活動をはじめてみませんか。


寄付できる物品一覧を見る


支援先のNPO一覧をみる


寄付方法を見る


※もし、ご支援される際に「譲渡所得税」や「寄付金控除」についてご心配の場合は、ご支援される団体様までお問合せください。

KOBIT編集部:Fumi.T)

<参考文献>
[1]広テレ!for Business,「日本画の発展に貢献した画家・加山又造 広島とのつながりと作品の魅力をプレゼン【アナたにプレゼン・テレビ派】」,available at https://news.ntv.co.jp/n/htv/category/society/hte7e4bfc7bc7241158a8d2d38e8ca9b3d
[2]東京文化財研究所,「加山又造」,available at https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28294.html
[3]NHK,「加山又造」,available at https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009072404_00000

そもそもお宝エイドとは?


寄付先のNPOを調べる

あわせて読みたいおすすめ記事

RECOMMEND