日本でも人気の高いポール・アイズピリの画家としての人生と作品価値
花や風景を題材にした色彩豊かな画風が特徴で、日本でも多くの愛好家がいることでも知られるポール・アイズピリ
本記事では、ポール・アイズピリの画家としての人生を紐解きながら、彼の作品と価値をお伝えしていきます。
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ポール・アイズピリとは?生い立ち・略歴
1919年5月14日にフランスパリで、イタリア人の母とバスク人の父との間に誕生したアイズビリ。
10代の頃、彫刻家でもあった父の勧めで家具職人を養成するブール象嵌学校(現エコール・ブール)に入学したものの、画家になる夢を捨てきれずに、パリ美術大学に再入学し、歴史画で著名なフェルナン・サバテの指導を受けることになりました。
20歳を迎える頃には、画家としての頭角を表しましたが、度重なる戦争で一時的に芸術活動を停止し、兵士として戦争に参加を余儀なくされました。第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となるも脱走をしたという話も語り継がれています。
アイズビリが個展を開催したのは1943年のパリが初めてで彼が24歳の時でした。1945年のパリの解放後にはサロン・ド・ジューヌ・パンテュールの創立会員となり、翌年には青年絵画展で三等賞を受賞します。
1960年代以降には、ニューヨーク、東京、ジュネーブと国外で個展を開催して世界的に名声を広めていきます。
彼が描く万人に分かりやすい具象絵画(静物、風景、人形等)は、幅広い世代に支持され、日本でも多くの愛好家を生むことになります。
日本では山形県の山形美術館、東京のニューオータニ美術館、広島尾道にあるなかた美術館などに作品が所蔵され、ポール・アイズピリ展が開催されれば、多くの人で賑わいを見せる人気となっています。
日本でも愛されているアイズピリの作品と高い価値
アイズピリの作品は一言で表すのであれば「明るさ」と言えるほど、生涯に渡って鮮やかな色彩で優しさや温かみを感じる作品を残してきました。
同時期にともに活躍したベルナール・ビュフェとは対照的な作風であったと言えば、具象絵画に興じる方には容易に想像できることと思います。
参考:日本にも愛好家が多いベルナール・ビュフェ(ビュッフェ)の作品と絵画の価値
その人気の高さから、リトグラフを中心とした版画も多く出回り、日本でも安価な価格帯で作品を手に入れることができる作家として知られていますが、油絵や水彩画の作品ともなれば数十万~数百万円の買取値がつくことも珍しくありません。 特に「花」をモチーフにした油絵は人気が高く、晩年に描かれたものは買取値が100万円を切ることはないと言われるほど価値が高いとされています。
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絵画の価値は作家の人生の足跡とともに残り続け、時の経過とともに上がっていくものです。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
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