気多大社と能登半島地震【神社が支え続けてきた復興の歴史】

石川県羽咋市に鎮座する「気多大社(けたたいしゃ)」は、北陸を代表する格式ある神社のひとつです。令和6年1月1日に発生した能登半島地震の報道を通じて、初めて気多大社という名を耳にされた方もいらっしゃるかもしれません。
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気多大社は、単なる観光地ではなく、何世紀にもわたり地域の人々の信仰の中心であり、災害とともに歩んできた歴史があります。
ここでは、そんな気多大社の由緒や魅力、そしてそのスピリチュアルな不思議な力も交えながら、能登の復興支援とその行動の一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。
気多大社とは?石川の地に古くから伝わる歴史を紐解く
気多大社は、古くは「気多神社」とも呼ばれ、北陸道の一宮として朝廷や武家からも厚く信仰されてきた神社です。
一宮とは、その地域でもっとも格式の高い神社のこと。まさに北陸の精神的な柱といえる存在です。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。神話に登場する「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と同一とされ、国造りや縁結び、農業・商業・海上安全など、私たちの暮らしを支える広範なご利益を持つ神様です。
気多大社は、延喜式にも記される「名神大社」のひとつで、平安時代から国家的に重要な位置づけがされてきました。
神社の周囲には豊かな自然が広がり、「入らずの森」と呼ばれる原生林は、古来より神域とされ、一般の立ち入りが禁じられています。
※現在は決められた時間に限り、お祓いを受けた後、神職の案内でのみ見学が許されています。
この神聖な森とともに、長い時をかけて守られてきた気多大社。人々の願いや祈りを受けとめてきたその姿は、令和の今も変わることなく、訪れる人々に静かな感動を与えてくれます。
令和6年1月1日の能登半島地震における気多大社の被害
2024年1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生しました。
震源の深さは16キロと浅く、地表に強烈な揺れをもたらし、能登地方を中心に広範囲で甚大な被害が報告されました。
特に輪島市や珠洲市では建物の倒壊や火災が相次ぎ、多くの方が避難生活を余儀なくされています。羽咋市も例外ではなく、古い建造物や住宅の一部が損壊し、ライフラインへの影響も一時的に出ておりました。
気多大社がある羽咋市は、震源からは若干距離があるものの、震度5強〜6弱と推定される強い揺れを観測。文化財や歴史的建造物が多い地域でもあり、その保存状態が心配されている状況です。
地震発生当時は、初詣に訪れていた方も多く、参拝客や神職の方々の安全も大きな関心事となりました。
地震発生直後、気多大社の社殿や境内にも一定の被害が見られましたが、大規模な倒壊などは幸いにも起こらなかったとされています。
ただ、社殿の一部にひび割れが入ったり、灯籠や境内の構造物が倒壊した箇所もあり、文化財としての保存状態や安全性を確認するため、発生後は専門家による調査が続きました。
気多大社と地震〜能登の地で果たしてきた役割
能登半島は美しい海岸線と穏やかな風景が魅力の地域ですが、その一方で地震活動が比較的活発な地域としても知られてきました。
過去を辿っていくと、幾度となく中規模から大規模の地震が繰り返し起きており、そのたびに人々は自然の力に驚き、恐れ、そして祈りを捧げてきたのです。
気多大社は、こうした災害のたびに地域の心のよりどころとなり、祈願の場として、また復興への象徴としての役割を果たしてきました。
単なる「神社」という存在を超えて、災害と共に歩んできた歴史があるのです。
能登半島と地震の関係
能登地方は、地質学的に見るとプレート境界に近く、過去数百年にわたり複数回の地震が記録されています。
近年では2007年に最大震度6強(マグニチュード6.9)を記録し、そして今回の2024年では最大震度7を観測する大地震となりました。
こうした地震の発生によって、たびたび地域の生活が大きく揺らぐことになり、住民にとっては精神的な負担も大きなものになります。
過去の自然災害と気多大社の役割
長い歴史の中で、気多大社は災害からの復興を祈る場として、何度も地域を見守ってきました。
記録に残る範囲でも、地震や台風、大雪などの自然災害の後には、神職たちによって特別な神事が執り行われ、人々の安全と平穏が祈願されてきたといいます。
中でも、災害時に行われる「復興祈願祭」や「鎮災祈願」の神事は、地域の人々の精神的な支柱となってきました。
現代においても、地震発生後には特別な形式での祈祷が行われ、被災者への慰霊や今後の無災害を願う行事が慎重に準備されることが多いです。
災害と神社は、切っても切れない関係にあります。特に気多大社のように長い時間をかけて地域とともに歩んできた神社だからこそ、その存在感は大きく、時に復興の「象徴」にもなっているのです。
能登半島地震からの復興支援で私たちにできること
気多大社は、何世代にもわたって能登という地域に寄り添い、災害とともに歴史を紡いできた神社であり、今回の能登半島地震でも、苦しみや不安、そして復興への願いに寄り添い続けています。
現在、被災地では様々な支援が行われていますが、一例として下記のNPO団体が災害発生直後から避難所で水や衛生用品等の物資配布をはじめとした支援活動を行っています。
- 認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパン:石川県輪島市を中心に食品・水等の物資配布や炊き出しを実施中
- AAR Japan[難民を助ける会]:輪島市、珠洲市で炊き出し、県内各地の障がい者施設に支援物資配布
- NPO法人フードバンクとやま:水や食品の寄付、現地で炊き出しする団体への食品や備品の寄付
- 公益社団法人日本国際民間協力会(NICCO):輪島市を中心に生活物資や食料の配布
- 特定非営利活動法人ジャパンハート:能登町、輪島市を中心に要配慮者用支援物資の提供および避難所での医療分野における人的支援
- シャンティ国際ボランティア会:県内で支援物資の配布
いまだ被災地の混乱は収まっていないため、個人としてどのような支援をするのが良いのか、自分には何ができるのか、とお考えの方も多いかもしれません。
お宝エイドでは、上記でご紹介したような、被災地で復旧活動や被災者のサポートを行っているNPOの活動を支援する形で、能登半島地震への支援へとつなげています。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
<参考文献>
[1] 氣多大社,available at https://keta.jp/
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