ペトラ遺跡が世界遺産に登録された理由とは?歴史・建築・見どころを徹底解説
ペトラ遺跡は、ヨルダン南部の岩山と谷間に築かれた古代都市遺跡です。
お宝エイドでは郵送いただいた「お宝」を換金し、ご指定いただいたNPO団体の活動原資として送り届けます。この機会にお宝エイドでの支援活動をはじめてみませんか。
※もし、ご支援される際に「譲渡所得税」や「寄付金控除」についてご心配の場合は、ご支援される団体様までお問合せください。
赤や桃色を帯びた砂岩を削って造られた壮大な建築群から、バラ色の都市とも呼ばれています。
1985年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、現在ではヨルダンを代表する文化遺産として広く知られています。
ペトラという名称は、岩を意味するギリシャ語に由来するとされています。
その名のとおり、遺跡の大きな特徴は自然の岩山を都市空間の一部として利用していることです。
ただし、ペトラは有名なエル・ハズネだけで構成された遺跡ではありません。
墓、神殿、祭祀施設、劇場、列柱道路、住居、水路、ダム、貯水槽などが広範囲に残っています。
つまりペトラの本質は、一つの巨大な岩窟建築ではなく、厳しい自然環境の中に成立した都市全体にあります。
建築美だけでなく、交易、信仰、葬送、水の管理といった古代人の営みを総合的に読み取れることが、ペトラの重要な価値です。
ペトラ遺跡が世界遺産に登録された理由
ペトラ遺跡は、ユネスコの世界遺産登録基準のうち、基準(i)、(iii)、(iv)を満たす文化遺産として登録されています。
登録基準(i):人間の創造的才能を示す傑作
ペトラを象徴するのが、砂岩の絶壁を削り出して造られた建築の正面部分、すなわちファサードです。
巨大な岩壁から柱、破風、彫刻的な装飾を造り出すには、高度な設計力と石材加工技術が必要でした。
また、ペトラの建築にはナバテア人独自の表現だけでなく、ヘレニズム、ローマ、エジプト、シリアなどの文化的要素が見られます。
外来の様式を単純に模倣したのではなく、土地の岩石や信仰、葬送文化に合わせて再構成している点が特徴です。
その独創性と完成度が、人間の創造的才能を示す傑作として評価されています。
登録基準(iii):ナバテア文明を伝える貴重な証拠
ペトラは、ナバテア人が築いた文明を今日に伝える重要な考古遺跡です。
ナバテア人に関する文字史料は限られていますが、墓、神殿、碑文、祭祀空間、水利設備などを調査することで、社会制度や信仰、交易活動、生活技術を読み解くことができます。
特に、多様な形式の墓が岩壁に連なる景観は、死者をどのように記憶し、権威や家系をどのように表現したのかを考える手掛かりになります。
ペトラは、失われたナバテア王国の文化的伝統を物語る、比類のない証拠なのです。
登録基準(iv):古代都市と水利技術の優れた例
年間降水量が少なく、鉄砲水の危険もある地域で大都市を維持するためには、水を確保して安全に配る仕組みが欠かせませんでした。
ナバテア人は、岩壁に沿う水路、陶製の導水管、ダム、貯水槽、沈殿設備などを整備し、雨水や湧水を集めて利用しました。
水は飲用や日常生活だけでなく、宗教施設、公共空間、庭園などにも使われたと考えられています。
水不足と洪水という相反する問題に対応した都市設計は、古代の工学技術と環境適応を示す優れた例として高く評価されています。
ペトラを築いたナバテア人とは
ナバテア人は、アラビア半島やレバント地域を結ぶ交易に深く関わった人々です。
彼らの王国は紀元前後に繁栄し、ペトラはその中心都市となりました。
古代の交易路では、乳香、没薬、香辛料などの貴重な品々が運ばれていました。
ナバテア人は隊商の移動を支え、物資の取引に関わることで富を蓄えたと考えられています。
ペトラは険しい岩山に囲まれているため防御に適し、交易路の拠点としても有利な位置にありました。
一方で、ペトラの繁栄を交易だけで説明することはできません。
多くの人が暮らし、訪れる都市を成立させるには、道路、宗教施設、市場、水の供給網などが必要です。
ナバテア人は地形を障害と捉えるのではなく、岩山や谷を都市の防御、交通、信仰、水管理に利用しました。
この柔軟な環境利用こそ、ナバテア文明の価値を理解するうえで重要です。
ペトラ遺跡の歴史
ナバテア王国の発展
ペトラ周辺では、ナバテア王国の成立以前から人間の活動が行われていました。
その後、ナバテア人の拠点として都市が整備され、特に紀元前1世紀から紀元1世紀ごろに大規模な建築が進んだと考えられています。
交易によって得た富は、墓廟や神殿、道路、水利施設などの建設に用いられました。
今日見られる壮麗なファサードの多くも、都市が繁栄した時代の社会や信仰を背景に造られたものです。
ローマ帝国への編入
西暦106年、ナバテア王国はローマ帝国に編入されました。
しかし、ペトラが直ちに放棄されたわけではありません。
ローマ時代にも都市として利用され、列柱道路や公共施設などが整えられました。
そのため、ペトラではナバテア人の伝統とローマ的な都市文化が重なっています。
遺構を一つの時代だけで捉えず、長期間にわたる増改築や用途の変化を見ることが大切です。
ビザンツ時代からイスラム時代へ
ビザンツ時代にはキリスト教会が設けられ、美しいモザイクも残されました。
その後、地震による被害や交易路の変化などが重なり、ペトラの都市機能は徐々に縮小したと考えられています。
ただし、都市が一夜にして消滅し、完全に忘れられたわけではありません。
イスラム時代以降も周辺では人々の活動が続き、地域の人々はペトラの存在を認識していました。
19世紀以降に欧米の旅行者や研究者へ広く知られるようになった経緯を、西洋人による発見とだけ表現するのは正確ではありません。
ペトラ遺跡を代表する見どころ
シーク
シークは、高い岩壁に挟まれた細長い峡谷で、ペトラの中心部へ通じる主要な道です。
場所によって岩壁が迫り、光の入り方に応じて砂岩の色が変化します。
一見すると自然にできた通路ですが、岩壁には水路や宗教に関係する痕跡も残されています。
シークは単なる入口ではなく、都市への導入路、水管理の場、儀礼的な空間という複数の役割を持っていた可能性があります。
エル・ハズネ
シークを抜けた先に姿を現すエル・ハズネは、ペトラを代表する岩窟建築です。
宝物殿という意味の通称で知られていますが、実際に財宝を保管していた建物と確認されているわけではありません。
王族級の人物に関係する墓廟だった可能性が高いものの、正確な用途には未解明な点が残っています。
外観には柱や破風、彫刻的な意匠が配置され、複数地域の建築文化が融合しています。
その一方、内部空間は外観に比べて簡素です。
この対照からも、ファサード自体が権威や記憶を表現する重要な役割を担っていたことがうかがえます。
王家の墓
ペトラの岩壁には、壺の墓、絹の墓、コリント式の墓、宮殿の墓など、王家の墓と総称される大規模な墓が並びます。
名称の一部は後世に外観上の特徴から付けられたもので、埋葬された人物がすべて判明しているわけではありません。
絹の墓では、赤、黄、紫などが複雑に重なる砂岩の模様を観察できます。
ここでは彫刻だけでなく、石材そのものの色彩と風化が独特の美しさを生み出しています。
劇場と列柱道路
岩を削って客席を設けた劇場は、ペトラが墓地や宗教都市だけではなかったことを伝えます。
また、列柱道路の周辺には神殿や公共施設が配置され、多くの人が集まり活動する都市空間が形成されていました。
これらの遺構にはナバテア時代とローマ時代の要素が重なっています。
建築様式の違いや改修の痕跡に注目すると、都市が時代に合わせて変化してきたことが分かります。
エド・ディル
エド・ディルは、長い階段を上った高所にある巨大な岩窟建築です。
修道院という通称で知られますが、当初からキリスト教の修道院として造られたとは限りません。
ナバテア時代には宗教儀礼などに使われ、後世にキリスト教と関係する利用が行われたとみられています。
エル・ハズネより装飾は簡略化されていますが、岩壁から削り出された正面の規模は圧倒的です。
周囲の山岳景観と合わせて見ることで、自然地形と建築が一体化したペトラの特徴を実感できます。
砂漠の都市を支えた水利システム
ペトラの価値を理解する際、華麗な建築と同じほど注目したいのが水利設備です。
乾燥地帯では水が不足する一方、強い雨が降ると谷へ水が集中し、鉄砲水が発生することがあります。
ナバテア人はダムなどで水の流れを調整し、都市への被害を抑えました。
さらに、水路や管を通じて水を運び、貯水槽へ蓄える仕組みを整えました。
水中の土砂を沈殿させる工夫も確認されており、水質の維持にも配慮していたことがうかがえます。
このシステムは、雨の少ない土地で必要な水を集める設備であると同時に、急激な水流から都市を守る防災設備でもありました。
ペトラは、自然環境に逆らって造られた都市ではなく、地形と水の性質を読み取りながら成立した都市なのです。
ペトラ遺跡にまつわる誤解
失われた都市という表現
ペトラは失われた都市と呼ばれることがあります。
しかし、長期間にわたって完全に無人となり、すべての人から忘れられていたわけではありません。
周辺で暮らす人々はその存在を知り、遺跡や土地と関わり続けていました。
誰かがペトラを発見したという表現を使う場合は、それが欧米社会に再び広く紹介されたことを指すのか、考古学的な調査が始まったことを指すのかを区別する必要があります。
岩窟建築はすべて神殿ではない
壮麗な外観から、ペトラの岩窟建築はすべて神殿だと思われることがあります。
しかし、実際には墓と考えられているものが数多くあります。
このほか、祭祀施設、宴会空間、住居、公共施設なども存在しました。
用途が確定していない遺構もあるため、現代的な建物の感覚だけで判断しないことが重要です。
名称も、本来の呼称ではなく、後世の伝承や見た目に基づいて付けられた場合があります。
世界遺産ペトラが直面する保存上の課題
ペトラの建築を構成する砂岩は、美しい色と模様を持つ一方、風雨や塩類の影響を受けやすい素材です。
岩の内部に入った水分が蒸発すると塩類が結晶化し、表面が剥がれる原因になることがあります。
風食、温度変化、地震、洪水なども遺構の劣化に関係します。
観光客の増加も重要な課題です。
観光は地域経済を支え、遺跡の価値を世界へ伝える機会になりますが、遺構への接触、踏圧、ごみ、混雑などは保存上の負荷となります。
見学時には岩壁や彫刻へ触れず、石、砂、陶片などを持ち帰らないことが基本です。
また、保存は建造物だけを対象にすればよいものではありません。
ペトラ周辺で暮らしてきた人々の知識、文化、生活と遺産管理をどのように両立させるかも重要です。
地域社会を尊重しながら、調査、観光、防災、保存を進める必要があります。
ペトラに関する品物や資料の価値
ペトラの価値を伝えるものは、遺跡そのものだけではありません。
古写真、絵はがき、古地図、旅行記、調査報告書などは、過去の景観や修復前の状態、当時の旅行文化を知る資料になります。
こうした品物は、古いという理由だけで価値が決まるものではありません。
制作・撮影された年代、作者、撮影地点、記載内容、保存状態、入手経緯などが重要です。
裏面の書き込みや旧蔵者の情報が、資料としての意味を高める場合もあります。
整理する際は、品物だけでなく、それがいつ、どこで、どのように入手されたかという記録も残しておきましょう。
現地で販売される砂絵、版画、置物、記念品なども、旅の記憶や地域の工芸を伝える品になり得ます。
作者名、工房、購入場所、購入年が分かる場合は、品物と一緒に記録しておくのがおすすめです。
一方、出土地や取得経緯が不明な古代遺物には注意しなければなりません。
遺跡からの無断持ち出しや文化財の違法取引は、品物が本来持っていた歴史的文脈を失わせます。
古代ナバテアの出土品などと称する物を入手する際は、合法的な来歴、輸出入関係の書類、過去の所有履歴を確認することが不可欠です。
真正性や適法性を確認できない場合は、安易に購入しないことが文化遺産の保護につながります。
紙焼き写真や絵はがきは直射日光と高温多湿を避け、保存性の高い袋や箱へ収納します。
資料的な価値があると思われる場合は、博物館、図書館、大学、専門家などへの相談も選択肢です。
売却だけでなく、寄贈、展示、研究利用、デジタル化といった形で次の世代へ引き継ぐことも、モノの価値を生かす方法です。
まとめ
ペトラ遺跡が世界遺産として評価されているのは、エル・ハズネの華麗な外観だけが理由ではありません。
岩山を削り出す建築技術、ナバテア文明を伝える遺構、多様な文化が交差した造形、乾燥地で都市生活を可能にした水利システムが一体となり、独自の文化的景観を形成しています。
ペトラを理解するには、墓や神殿だけでなく、道路、劇場、水路、貯水槽、峡谷などへ視野を広げることが大切です。
そこから見えてくるのは、厳しい自然を克服したという単純な物語ではなく、地形、水、交易、多文化交流を巧みに生かした人々の知恵です。
古写真や旅行記、正規に制作された記念品なども、ペトラと人々との関係を伝える資料です。
価格だけで価値を判断せず、由来や記録を含めて適切に保存・利活用することが、世界遺産の記憶を未来へつなぐ一歩となります。
お宝エイドでは様々な物品を通じたNPO団体の支援を行うことが出来ます。お宝エイドでは郵送いただいた「お宝」を換金し、ご指定いただいたNPO団体の活動原資として送り届けます。あなたもお宝エイドでの支援活動をはじめてみませんか。
(KOBIT編集部:Fumi.T)
あわせて読みたいおすすめ記事
RECOMMEND