原爆ドームが世界遺産に登録されたのはいつ?登録日や理由、建物の歴史を解説
「原爆ドームが世界遺産に登録されたのはいつ?」という疑問への答えは、1996年(平成8年)12月7日です。
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メキシコのメリダで開かれた第20回世界遺産委員会において、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
世界遺産としての正式名称は「広島平和記念碑(原爆ドーム)」です。
原爆ドームは古い建築物というだけではなく、原子爆弾による惨禍を現在に伝え、核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを訴える人類共通の遺産です。
この記事では、世界遺産への登録年月日をはじめ、原爆ドームが建てられた経緯、被爆後も残った理由、保存運動、世界遺産に認められた価値について詳しく解説します。
原爆ドームが世界遺産に登録されたのはいつ?
原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録された日は、1996年12月7日です。
登録区分は自然遺産ではなく、世界文化遺産となっています。
1945年8月6日は広島に原子爆弾が投下された日であり、1996年12月7日は原爆ドームが世界遺産に登録された日です。
二つの年を混同しないよう、次のように整理すると分かりやすいでしょう。
- 1915年:現在の原爆ドームにあたる建物が完成
- 1945年8月6日:広島への原子爆弾投下により被爆
- 1966年:広島市議会が永久保存を決議
- 1996年12月7日:ユネスコの世界文化遺産に登録
登録が決まったのは、メキシコのメリダで開催された第20回世界遺産委員会です。
被爆から世界遺産登録までは約51年を要しました。
その間、市民や関係者によって建物を残すための運動や募金、保存工事が続けられました。
世界遺産としての正式名称
原爆ドームは、世界遺産一覧に「広島平和記念碑(原爆ドーム)」という名称で登録されています。
英語名はHiroshima Peace Memorial(Genbaku Dome)です。
一般には原爆ドームという呼び名が定着していますが、世界遺産としての名称に「平和記念碑」が含まれている点は重要です。
この建物は原爆被害の恐ろしさを示すだけでなく、世界平和を願う記念碑として位置付けられているからです。
なお、ユネスコの世界遺産と、文化庁が認定する日本遺産は異なる制度です。
原爆ドームはユネスコの世界文化遺産であるとともに、国内では国の史跡にも指定されています。
原爆ドームはもともと何の建物だった?
1915年に広島県物産陳列館として完成
原爆ドームは、最初から戦争や平和を記念する目的で建てられた施設ではありません。
1915年(大正4年)に、広島県内の産業を振興するための「広島県物産陳列館」として完成しました。
館内では県内で生産された物品の展示や販売が行われたほか、美術展や博覧会なども開催されました。
当時の広島における産業と文化の発信拠点であり、街の近代化を象徴する華やかな建築物だったのです。
建物の名称は、その後「広島県立商品陳列所」を経て「広島県産業奨励館」に改称されました。
1945年に被爆した時点での名称は、広島県産業奨励館です。
チェコ出身の建築家ヤン・レツルが設計
設計を担当したのは、チェコ出身の建築家ヤン・レツルです。
レンガや鉄筋コンクリートを用いた洋風建築で、中央部に設けられた楕円形のドームが大きな特徴でした。
ドーム部分は、もともと銅板で覆われていました。
しかし、原爆の爆風と熱線によって銅板などが失われ、鉄骨がむき出しになりました。
その骨組みがドームのように見えたことから、被爆後に市民の間で原爆ドームと呼ばれるようになったとされています。
現在の姿だけを見ると、初めから無骨な鉄骨を見せる建物だったように感じられるかもしれません。
しかし、被爆前は装飾性を備えたモダンな施設でした。
かつての写真と現在の姿を見比べると、一つの建物が経験した歴史の大きさが伝わってきます。
1945年8月6日に原爆ドームで何が起きた?
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市に人類史上初めて実戦で使用された原子爆弾が投下されました。
原子爆弾は広島県産業奨励館から南東約160メートル、上空約600メートル付近で炸裂したとされています。
建物は爆心地に極めて近く、爆風と熱線によって大きく破壊されました。
館内にいた人々は全員死亡したとされています。
現在残る外壁や鉄骨は、建物が無傷だったことを意味するものではありません。
原爆ドームは、周辺の街とそこにいた人々が受けた壊滅的な被害を伝える遺構です。
爆心地に近いのになぜ一部が残った?
原爆ドームの一部が残った理由として、爆風が建物のほぼ真上から垂直に近い角度で加わったことが挙げられます。
横方向からの力が比較的少なかったため、中央部の壁やドームの鉄骨などが完全な倒壊を免れたと考えられています。
ただし、これは建物が原爆に耐えられるほど頑丈だったという意味ではありません。
内部は焼失し、屋根や床の多くも失われました。
残った部分は、いくつもの条件が重なった結果として現在まで伝わったものです。
原爆ドームはなぜ取り壊されなかった?
保存と撤去の両方の意見があった
被爆後、原爆ドームを残すことがすぐに決まったわけではありません。
建物は崩壊の危険がある廃墟であり、街の復興を進めるうえで撤去すべきだという意見がありました。
また、被爆のつらい記憶を呼び起こすため、見たくないと感じる人もいました。
一方で、原爆の惨禍を後世へ伝え、同じ過ちを繰り返さないために保存するべきだという声も高まっていきます。
時間の経過とともに被爆の痕跡が街から失われていくなか、原爆ドームは目に見える証拠として、より大きな意味を持つようになりました。
1966年に永久保存を決議
保存を求める市民運動などを受け、広島市議会は1966年(昭和41年)、原爆ドームの永久保存を決議しました。
その後、国内外から寄せられた募金も活用し、崩壊を防ぐための保存工事が行われています。
原爆ドームは、被爆後から何も手を加えずに放置されているわけではありません。
風雨や地震、建材の劣化などによる倒壊を防ぐため、定期的な調査と必要な補強が続けられています。
一方で、新品のように修復してしまうと、被爆の実態を伝える遺構としての価値が損なわれます。
そのため、被爆後の姿を可能な限り維持しながら、安全性を確保するという慎重な保存方法が採られています。
原爆ドームが世界遺産に登録された理由
原爆の惨禍を伝える歴史的な遺構だから
原爆ドームは、人類史上初めて実戦で使用された原子爆弾による被害を、建物そのものによって伝える遺構です。
古いから、珍しいからという理由だけで世界遺産になったのではありません。
建物の焼けた壁やむき出しの鉄骨は、核兵器が都市と人間にもたらす被害を無言のうちに示しています。
写真や文章だけでなく、被爆した建物の現物が残っていることに、代えがたい価値があります。
世界遺産の登録基準(vi)が適用された
原爆ドームには、世界遺産の登録基準(vi)が適用されています。
この基準は、顕著で普遍的な意義を持つ出来事や思想、信仰、芸術・文学作品などと直接または明白に関係する資産を対象としたものです。
原爆ドームは、原子爆弾の使用という人類史上の重大な出来事に直接結び付いています。
同時に、核兵器の廃絶と恒久平和を願う普遍的な思想の象徴でもあります。
こうした歴史的・精神的な価値が国境を越えて認められ、世界文化遺産に登録されました。
人類が共有すべき平和の象徴だから
原爆ドームは、日本だけの戦争遺跡ではありません。
核兵器による惨禍を二度と繰り返してはならないという、人類全体への警告を発する存在です。
その価値は、建築材料の価格や不動産としての利用価値では測れません。
建物が背負う記憶、亡くなった人々への追悼、平和を求める人々の意思が重なり、世界に一つしかない文化遺産としての価値を形づくっています。
世界遺産登録までの流れ
日本が世界遺産条約を締結したのは1992年です。
その後、原爆ドームの世界遺産登録を求める活動が進み、多くの署名が集められました。
国内での保護体制も整えられ、1995年には国の史跡に指定されています。
日本政府による推薦や専門機関の評価を経て、1996年12月7日に世界文化遺産への登録が決まりました。
同じ年には、広島県廿日市市の厳島神社も世界文化遺産に登録されています。
登録時には、戦争に関する歴史認識などを背景として一部の国が異なる立場を示しました。
それでも原爆ドームが世界遺産になったことは、核兵器の被害を伝える遺構を国際社会で保存し、未来へ継承する大きな節目となりました。
原爆ドームの価値を未来へ残す取り組み
原爆ドームは、完成から100年以上、被爆からも長い年月が経過しています。
レンガ、モルタル、鉄骨などは雨風にさらされ、少しずつ劣化します。
そのため、広島市は状態調査を行い、必要に応じて補強や保存工事を実施しています。
重要なのは、単に建物の形を残すことだけではありません。
材料や傷痕を可能な限り維持し、被爆した実物としての真正性を守る必要があります。
新しい材料へ安易に置き換えるのではなく、現存する部分を生かしながら寿命を延ばす考え方です。
これは、モノの価値が新しさや実用性だけで決まらないことを示す例でもあります。
原爆ドームは、現在では本来の物産陳列館として利用できません。
しかし、建物に刻まれた記憶を伝える役割は、ほかの新しい施設で代替できるものではありません。
使い続けることだけでなく、意味を読み取り、適切に守り、次世代へ手渡すことも、モノを生かす方法の一つです。
原爆ドームを見学するときのポイント
原爆ドームは広島県広島市中区大手町にあり、広島平和記念公園に隣接しています。
路面電車の原爆ドーム前電停から近く、広島市中心部からアクセスしやすい場所です。
建物内部へ入ることはできず、周囲の柵の外側から見学します。
原爆ドームは一般的な観光用建築物とは性質が異なるため、遺構に触れたり、立入禁止区域へ入ったりせず、犠牲者を悼む気持ちを持って見学することが大切です。
原爆ドームだけでは分からない歴史も多いため、広島平和記念資料館、原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などとあわせて訪れると理解が深まります。
開館時間や休館日、周辺の利用案内は変更される場合があるため、訪問前に広島市や各施設の公式情報を確認しましょう。
原爆ドームに関するよくある質問
原爆ドームが世界遺産になったのは何年ですか?
1996年(平成8年)です。
正確な登録日は1996年12月7日で、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
原爆ドームが被爆したのはいつですか?
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分です。
世界遺産に登録された1996年とは約51年の隔たりがあります。
原爆ドームの中に入れますか?
原爆ドームの内部には入れません。
安全確保と遺構保存のため柵が設けられており、外側から見学します。
原爆ドームはなぜ今も崩れないのですか?
市民の募金などに支えられた保存工事や、その後の定期的な調査・補強が行われているためです。
被爆直後のまま放置されているのではなく、歴史的価値を損なわないよう慎重に維持されています。
原爆ドームは負の世界遺産ですか?
負の遺産という言葉は、戦争や差別、災害など人類の悲惨な歴史を伝える遺産に対して一般的に使われる表現です。
ただし、ユネスコが定める正式な世界遺産の分類名ではありません。
原爆ドームの公式な区分は世界文化遺産です。
まとめ
原爆ドームが世界遺産に登録されたのは、1996年12月7日です。
正式名称は「広島平和記念碑(原爆ドーム)」で、世界文化遺産に分類されています。
建物は1915年に広島県物産陳列館として完成し、1945年8月6日に被爆しました。
その後、保存と撤去をめぐる議論、市民による運動、1966年の永久保存決議、保存工事などを経て、世界遺産として認められました。
原爆ドームの価値は、換金できる価値や建築物としての実用性では測れません。
原爆の惨禍を伝える実物であり、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶と恒久平和を訴える人類共通の遺産です。
残された建物を守ることは、過去の記憶を保存するだけでなく、未来の社会に平和の大切さを伝えることでもあります。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
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