熊谷守一の作品価値「轢死」や「猫」 に込められた生と死に生きた生涯
明治から昭和まで、約1世紀に渡って日本の美術界を生きた熊谷守一。猫好きなら、一度は彼の絵を目にしたことがあるかもしれません。
今回は、そんな熊谷守一の画家としての人生を紐解きながら、代表作や作品価値に迫ります。
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生と死に生きた熊谷守一の画家人生を紐解く
岐阜県恵那郡(現中津川市)の出身である熊谷守一は、1880年(明治13年)に生まれました。父は初代岐阜市長、衆議院議員にもなった岐阜の名士として知られ、不自由のない幼少期を過ごしました。
熊谷守一が絵を描き始めたのは12歳頃と言われ、20歳になる1900年に、現在の東京藝術大学である東京美術学校に進学し、藤島武二や黒田清輝から本格的に画家としての道を歩みはじめます。
「闇の時代」を過ごした20代~40代
熊谷守一の20代は、一言で言えば「闇の時代」だったと言えます。
暗い場所での視覚の捉え方に焦点を当てた時期でした。暗がりの中で、かすかに見える肌色を注視すると、女性の死体が横たえていることがわかります。
彼は、当時学校の近くの踏切で、列車に飛び込んで亡くなった女性と遭遇し、この時の経験から「轢死」という作品を制作したことでも知られています。
また、22歳で父が亡くなり、30歳の時には母を亡くすという、辛い出来事が続きます。
こうした守一の心の闇は、1909年(明治42年)に真っ暗な空間でこちらを凝視する目を描いた自画像「蠟燭(ローソク)」に体現され、この作品は第3回文部省美術展覧会で高く評価されて入賞を果たしました。
父が他界してから一家の生活は次第に困窮し、一度故郷の岐阜へ帰郷し、5年ほど材木運搬などの仕事をしていましたが、母を亡くした5年後の1915年に再び上京します。
二科会を舞台に作品を発表し続ける中で、42歳の時に結婚。彼の伴侶となったのは、和歌山県出身の地主の娘で、24歳の大江秀子でした。
熊谷が1918年に二科展に出品した「某夫人像」は、結婚する前に完成した秀子の肖像画として知られていますが、その太い筆使いと縦線の連続で形作られた輪郭線のないスタイルが特徴の絵は、秀子の表情は何かを語りかけるようで、まるで次の瞬間に動き出しそうな雰囲気を持っています。
守一と秀子の間には、5人の子供が生まれ、守一は大変子煩悩としても知られていましたが、当時の守一は、思うように絵を描くことができずに、その日の食事にも事欠くほど生活は苦しかったと言われています。
そのため、次男が3歳で肺炎に罹った際に医者にかかることもできず死なせてしまったこと、三女も2歳で病死するなど、自身のせいで計り知れないほどの悲しみを背負うことになります。
熊谷守一らしさを確立した晩年
今日知られている「明るい色調」と「赤い輪郭線」の熊谷守一の特徴的な作風が完成されたのが、1950年代に入った頃のこと。
この時すでに70歳を超えていた守一は、ようやく画家としての成功を収めることになったのです。
しかし、熊谷守一が76歳の時、軽度の脳卒中を経験した後、遠出して風景を描くことが困難になりました。その結果、彼は植物や昆虫、猫といった題材を主に描くようになります。
彼の自宅には自分で掘った池があり、そこで泳ぐ魚を眺めることは、彼の日常の一部となっていたようです。自然とのふれあいを大切にしていた熊谷は、これらの題材を通じて新たな表現を追求していったのです。
猫好きの方は、熊谷守一と言えば猫の作品をイメージされる方も多いかもしれませんが、実は晩年になってからの作品だと聞いて、驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。
その後、守一は繰り返し自分が目指す絵を飽きることなく、1977年(昭和52年)8月1日に生涯を終えるまで描き続けたことから、「画壇の仙人」と呼ばれたことでも知られています。
熊谷守一の代表作と作品価値
熊谷守一の代表作には、このような作品があります。
まもなく没後50年を迎えようとしていますが、2023年11月26日のオークションでは、1963年作の「ほたるぶくろに蝶」が2,300万円で落札される[1]など、彼が残してきた作品には、いまだ高い価値と評価が与えられています。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
[1] Shinwa Auction株式会社, available at https://www.shinwa-auction.com/wp-content/uploads/2023/12/20231126m_c.pdf
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