見附島の魅力を再確認!能登半島地震で崩落した現在とこれから
2024年1月1日に発生した能登半島地震から9ヶ月が経ちました。
能登半島を中心に石川県内では各所様々な場所で自身の爪痕が残りましたが、その1つに見附島の崩落に衝撃を受けた方もいらっしゃるかもしれません。
今回は、軍艦島という別名を持つ見附島について、改めてどのような特徴や由来を持つ島なのかを理解し、崩落で変わった現在、そしてこれからについて考えていきたいと思います。
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見附島の名前の由来や名勝と言われる魅力を知る
見附島は石川県珠洲市の飯田湾沿いから約150mの位置にある無人島です。
この島は全長が158.5m、幅が最大で45.3m、最も高い点で標高が29.5mに達し、石川県の天然記念物に認定されています。名前の由来は、空海(弘法大師)が佐渡島から能登へ渡る際に最初に目にした島であることからつけられました[1]。
地質は珪藻土で形成されており、島の周囲は白く、頂部には木々が茂っています。このユニークな形状は、初めて目にすると圧倒されるほどです。
潮が引いた時には踏み石を渡り、島に近づくことができます。その迫力ある姿は、訪れる人々を虜にします。
夜間にはライトアップされたロマンチックな姿を、早朝には日の出とともに幻想的な光景が堪能でき、毎年多くの観光客が訪れる能登のシンボルとして、毎年多くの観光客が訪れる景勝地となっています。
※震災の影響により、閲覧時点の状況は執筆内容と異なる点がありますのでご注意ください。
見附島はもう消えた!?能登半島地震による崩落で変わった姿
島の外形が軍艦に似ていることから「軍艦島」とも呼ばれてきた見附島ですが、今回の能登半島地震の揺れと高さ4mにも達したと言われる津波によって、海岸から見えない南東側のほぼ半分が崩れ落ちてしまいました。 その崩落の様子がこちらの映像に残されています。
※地震の映像が流れますので、視聴する際はご注意ください
現在の見附島の姿については、珠洲市が設置するライブカメラの映像からご覧頂けます。
実際に震災前の見附島の姿を知る人にとっては、その変わりように大きな衝撃を受けるほど、地震と津波の力を感じてしまいます。
災害復興支援のシンボルとして。見附島の現在から私たちにできること
地震によって見附島の姿はかつてと比べて大きく変わってしまいました。しかしながら、見附島が能登のシンボルである事に現在も昔も変わりありません。
それ以上に、これからは能登復興のシンボルとして、多くの人に力を与えてくれる存在となってくれるのではないでしょうか。
ただそのためには、能登ならびに石川県内で被害のあった場所の早期復興、そして被災者の継続的な支援が必要です。
現在も被災地では様々な支援が行われていますが、災害発生直後から下記のようなNPO団体が避難所で水や衛生用品等の物資配布をはじめとした支援活動を行ってきました。
- 認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパン:石川県輪島市を中心に食品・水等の物資配布や炊き出しを実施中
- AAR Japan[難民を助ける会]:輪島市、珠洲市で炊き出し、県内各地の障がい者施設に支援物資配布
- NPO法人フードバンクとやま:水や食品の寄付、現地で炊き出しする団体への食品や備品の寄付
- 公益社団法人日本国際民間協力会(NICCO):輪島市を中心に生活物資や食料の配布
- 特定非営利活動法人ジャパンハート:能登町、輪島市を中心に要配慮者用支援物資の提供および避難所での医療分野における人的支援
- シャンティ国際ボランティア会:県内で支援物資の配布
被災地の落ち着きは取り戻しつつあるとは言え、個人としてどのような支援をしていけば良いのか、自分には一体何ができるのか、そうお考えの方も多いかもしれません。
お宝エイドでは、上記でご紹介したような、被災地で復旧活動や被災者のサポートを行っているNPOの活動を支援する形で、能登半島地震への支援へとつなげています。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
<参考文献>
[1] 石川県公式HP,「見附島」,available at https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/siseki/ken4-2.html
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