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軍艦島が世界遺産になったのはいつ?登録日・登録理由と島の歴史を解説

「軍艦島が世界遺産になったのはいつ?」という疑問への答えは、2015年7月5日です。

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ドイツのボンで開かれた第39回ユネスコ世界遺産委員会において、世界文化遺産への登録が決まりました。

ただし、軍艦島という名称で島全体が単独登録されたわけではありません。

正式には「端島炭坑」として、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する23資産の一つに含まれています。

この記事では、軍艦島の登録日や登録までの流れをはじめ、何が評価されたのか、なぜ無人島になったのか、現在は見学できるのかまで詳しく解説します。

軍艦島が世界遺産になったのは2015年7月5日

軍艦島の世界遺産登録が決定した日は、2015年(平成27年)7月5日です。

登録区分は世界自然遺産ではなく、歴史や産業に関する価値が認められた世界文化遺産です。

登録を決定したのは、ドイツのボンで開催された第39回ユネスコ世界遺産委員会でした。

軍艦島は長崎県長崎市に属する島ですが、世界遺産としての正式な構成資産名は「端島炭坑」です。

軍艦島だけが単独で登録されたわけではない

軍艦島は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」という一つの世界遺産の構成資産です。

この世界遺産は、岩手県、静岡県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県の8県に点在する23の資産から成り立っています。

複数の地域にある資産を一つの歴史的な物語によって結び付けた世界遺産であり、軍艦島だけでその価値が完結するものではありません。

製鉄、造船、石炭産業に関係する施設や遺跡を通して、日本が西洋の技術を導入し、産業国家へ移行した過程を示しています。

軍艦島について検索すると、密集した高層住宅や廃墟の写真が多く表示されます。

しかし、世界遺産として評価された中心的な価値は、廃墟の迫力ではなく、近代産業を支えた海底炭坑としての歴史にあります。

登録時の軍艦島はすでに無人島だった

端島炭坑が閉山したのは1974年です。

閉山後、住民は島を離れ、軍艦島は無人島になりました。

そのため、世界遺産への登録は閉山から約41年後の出来事です。

「炭鉱が稼働していた時代に世界遺産になった」と誤解されることがありますが、実際には無人島となった後、産業遺産としての調査や保存の取り組みが進み、2015年に登録されています。

軍艦島が世界遺産に登録されるまでの流れ

軍艦島の世界遺産登録は、島だけを保存しようとする単独の運動によって実現したものではありません。

九州や山口などに残る近代化産業遺産を結び付け、日本の産業化の歴史を伝える取り組みの中で登録が進められました。

2014年にユネスコへ推薦書を提出

日本政府は2014年1月、「明治日本の産業革命遺産」の推薦書をユネスコ世界遺産センターへ提出しました。

その後、文化遺産の専門家組織であるICOMOSによる調査や評価が行われます。

2015年5月には、ICOMOSが世界遺産一覧表への記載を勧告しました。

そして同年7月5日、世界遺産委員会の審議を経て、正式に登録が決定しています。

世界遺産をめぐる情報では、「候補になった年」「推薦された年」「登録が決まった年」が混同されがちです。

軍艦島を含む産業革命遺産がユネスコへ推薦されたのは2014年、正式に世界文化遺産となったのは2015年です。

世界遺産登録後も保存と説明が続けられている

世界遺産は、登録された時点で取り組みが終わるものではありません。

各資産の状態を確認し、適切に保存するとともに、その歴史を来訪者へ伝えていく必要があります。

端島炭坑では、海底炭鉱を支えた技術や島民の暮らしに加え、炭鉱で働いた多様な人々について理解できるようにすることも重要です。

戦前・戦中の労働を含め、複雑な歴史を資料に基づいて伝えるための調査や展示、対話が続けられています。

軍艦島の何が世界遺産として評価された?

軍艦島の価値を理解するには、「廃墟になった島」という印象から一歩踏み込み、石炭が近代産業に果たした役割を知る必要があります。

日本の近代化を支えた海底炭坑

端島炭坑では、島の地下からさらに海底へ坑道を延ばし、海底の炭層から石炭を採掘していました。

石炭は製鉄や造船、蒸気機関などを支えるエネルギー源であり、近代産業の発展に欠かせない資源でした。

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」が主な対象とするのは、1850年代から1910年までの産業化です。

日本が西洋の技術を取り入れ、国内の状況に合わせて改良しながら、製鉄・製鋼、造船、石炭産業を急速に発展させた過程が評価されています。

端島炭坑は、そのうち石炭産業の発展を示す構成資産です。

島を囲む護岸、炭坑に関係する遺構、周辺の産業施設との結び付きなどが、当時の産業活動を伝えています。

廃墟の集合住宅だけが登録理由ではない

軍艦島を象徴するものとして、鉄筋コンクリート造の集合住宅群が挙げられます。

海上に密集した建物の姿は印象的で、多くの写真集、映像作品、観光案内で取り上げられてきました。

しかし、「廃墟の景観が珍しいから世界遺産になった」という説明は正確ではありません。

世界遺産としての顕著な普遍的価値は、日本の近代産業化と石炭産業の歴史を証明する点にあります。

集合住宅、学校、病院、商店などの跡は、炭鉱で働く人と家族の生活を知るうえで貴重です。

一方、世界遺産登録の中心となる時代や評価対象と、後年に整備された住宅群の価値は、分けて理解する必要があります。

軍艦島はどのように誕生した?

軍艦島の正式名称は「端島」です。

長崎港から南西方向の海上に位置し、行政上は長崎県長崎市に属しています。

「軍艦島」という呼び名の由来

海上から見た端島は、島を囲む護岸の上に建物が密集し、巨大な船のように見えます。

その外観が戦艦「土佐」に似ていたことから、軍艦島と呼ばれるようになったとされています。

現在は通称である軍艦島の方が広く知られていますが、地名は端島、世界遺産の構成資産名は端島炭坑です。

名称によって指し示す内容が異なる点を押さえておくと、世界遺産としての位置付けを理解しやすくなります。

三菱による炭鉱開発と島の拡張

端島周辺では江戸時代から石炭の存在が知られ、19世紀には採炭が行われるようになりました。

1890年(明治23年)に三菱が端島炭坑を取得すると、海底炭坑としての本格的な開発が進みます。

現在の島の輪郭は、自然に形成された地形だけでできたものではありません。

炭鉱の拡大に合わせて埋め立てや護岸工事が繰り返され、島の面積が広げられました。

限られた土地に炭鉱施設と生活空間が集約された結果、軍艦のような独特の景観が生まれたのです。

最盛期の軍艦島には5,000人以上が暮らしていた

最盛期の1960年ごろ、軍艦島には5,000人を超える人々が暮らしていました。

小さな島に多くの住民が集まっていたため、当時の人口密度は非常に高かったことで知られています。

島にいたのは炭鉱労働者だけではありません。

その家族や、教育、医療、商業などに携わる人々も生活し、一つの都市に近い共同体が形成されていました。

鉄筋コンクリート造の集合住宅が建てられた

限られた土地を有効に使うため、軍艦島には多層の集合住宅が建てられました。

1916年(大正5年)に完成した30号棟は、日本に現存する初期の鉄筋コンクリート造高層集合住宅として知られています。

島内には学校、病院、商店、映画館、理髪店、神社などもありました。

建物の屋上が、子どもの遊び場や住民同士の交流の場として利用されることもあったといいます。

こうした暮らしは、建築物だけから読み取れるものではありません。

当時の写真、絵はがき、地図、社内報、炭鉱道具、生活用品、元島民の証言なども、軍艦島の日常を伝える大切な資料です。

古い品は経年劣化していても、使われた場所や年代、持ち主の来歴が分かれば、産業史や生活史を伝える価値を持ちます。

軍艦島が閉山して無人島になった理由

端島炭坑が閉山した大きな背景には、日本で進んだエネルギー革命があります。

かつて産業の主要なエネルギー源だった石炭は、次第に石油へと置き換えられていきました。

石炭需要や炭鉱を取り巻く環境が変化する中、端島炭坑は1974年1月に閉山しました。

住民は同年4月までに島を離れ、人口が集中していた島は短期間で無人島となります。

閉山後は、潮風、雨、台風などによって建物の劣化が進みました。

人が住まなくなった建物には日常的な補修が行われないため、コンクリートの剥落や鉄筋の腐食、床や壁の崩落が生じています。

現在の軍艦島は見学できる?

軍艦島は2009年から一般向けの上陸見学が行われています。

ただし、誰でも自由に島へ渡り、廃墟の内部を歩けるわけではありません。

基本的には長崎港などから出航する認可済みの上陸ツアーを利用し、島内では整備された見学通路から見学します。

建物の内部や危険な区域への立ち入りはできません。

また、周辺海域は波や風の影響を受けやすく、船が出航しても上陸できない場合があります。

訪問する際は、運航会社が定める利用条件や当日の運航情報を確認しましょう。

上陸できない場合でも、長崎市内の関連施設、写真資料、模型、映像、デジタル展示などを通して軍艦島の歴史を学べます。

立ち入りが難しい建物を3D計測して記録する試みも、失われつつある景観を後世へ伝える方法の一つです。

軍艦島の歴史を年表で確認

主な出来事
1890年三菱が端島炭坑を取得
1916年鉄筋コンクリート造集合住宅の30号棟が完成
1960年ごろ人口が最盛期を迎え、5,000人以上が生活
1974年1月端島炭坑が閉山
1974年4月住民の退去が完了し、無人島となる
2009年一般向けの上陸見学が始まる
2014年1月日本政府がユネスコへ推薦書を提出
2015年7月5日世界文化遺産への登録が決定

軍艦島の世界遺産に関するよくある質問

軍艦島は何年に世界遺産になった?

2015年です。

正式な登録決定日は2015年7月5日でした。

世界自然遺産と世界文化遺産のどちら?

軍艦島は世界文化遺産の構成資産です。

自然環境ではなく、日本の近代化や石炭産業を伝える歴史的価値が評価されています。

世界遺産での正式名称も軍艦島?

世界遺産の構成資産名は「端島炭坑」です。

「軍艦島」は、島の外観が軍艦に似ていることに由来する通称です。

軍艦島だけで一つの世界遺産なの?

軍艦島だけの単独登録ではありません。

8県にある23資産で構成される「明治日本の産業革命遺産」の一部です。

現在も人が住んでいる?

1974年の閉山後に住民が退去したため、現在は無人島です。

保存、管理、調査、観光案内などの関係者が一時的に立ち入ることはありますが、定住者はいません。

まとめ

軍艦島が世界遺産になったのは、2015年7月5日です。

軍艦島だけが単独登録されたのではなく、「端島炭坑」として世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」を構成する23資産の一つになりました。

評価された中心的な価値は、印象的な廃墟景観そのものではありません。

海底から採掘された石炭が製鉄や造船などを支え、日本の急速な産業化に貢献した歴史にあります。

島に残る護岸、炭坑の遺構、集合住宅に加え、写真、絵はがき、炭鉱道具、生活用品、住民の証言も、当時の産業と暮らしを伝える貴重な手掛かりです。

軍艦島を世界遺産として知ることは、古い建物やモノに残された記憶をどのように守り、次の世代へ伝えるかを考えることにもつながります。

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