キング・オブ・ダイヤモンド/ハリー・ウィンストンのブランド価値
「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれるほど、世界屈指のダイヤモンド商として名を馳せたハリー・ウィンストン。今や彼の名を冠したジュエリーブランドは、世界5大ジュエラーの1つとされ、高いブランド価値を誇ります。
今回は、そんなハリー・ウィンストンというブランドを歴史から紐解いていきます。
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たった1人で始まったハリー・ウィンストンの歴史
1896年に宝石店を経営していた家庭の下に誕生したハリー・ウィンストン。
幼い頃から天性の宝石の目利きを発揮して、たびたび周囲を驚かせていた彼は、1920年、わずか24歳のときに、アメリカ・ニューヨーク五番街で「プレミア・ダイヤモンド社」を立ち上げます。
それから12年を経て、高い評判を築き上げ、自身の名を冠したハリー・ウィンストン社を設立してジュエリーブランドとしての歴史をスタートさせます。
「キング・オブ・ダイヤモンド」と称されるブランド価値
ハリー・ウィンストン社の始まりの翌年に、長い間求婚を重ねていたエドナ・フライシュマンと結婚。彼女の影響もブランドに大きく貢献したと言われます。
1935年には726カラットのダイヤモンド「ヨンカー」を獲得したことで世界中に注目を浴びます。
1940年には、現在もハリー・ウィンストンを象徴するウィンストン・クラスターのモチーフを完成させ、さらなるビジネスの拡大のため、ニューヨーク東51丁目7番地に店舗を移転して、ショールーム、デザインスタジオ、工房、ルースの専門部署、さらにウィンストン一家も居を構えたことでも知られています。
その後もハリー・ウィンストンは、世界中の名家や王族、大物実業家などとつながりを持ち、貴重なダイヤモンドや宝石へ近づく機会を得ながら原石の獲得とコレクター達への販売を行ってきました。
こうした彼の輝かしい宝石商としてのキャリアを称して、1947年にコスモポリタン誌が「キング・オブ・ダイヤモンド」という呼び名を贈りました。
海外進出から「スターたちのジュエラー」としてのブランドへ
1955年になると、スイスのジュネーブに初の海外店舗をオープンし、ハリー・ウィンストン社は海外へ進出をはじめます。1957年にフランスのパリへ、日本にはおよそ30年後の1988年に東京にオープンしました。
その間、1978年に創業者ハリー・ウィンストンが82歳でこの世を去って一時代に終わりを告げますが、ブランドとしての価値は衰えるどころかさらなる成長を続けます。
1999年に映画「恋におちたシェイクスピア」でアカデミー賞主演女優賞に輝いたグウィネス・パルトローが授賞式でハリー・ウィンストンのプリンセス・ネックレスを着用したことで大きな話題となり、ハリー・ウィンストンは「スターたちのジュエラー」としてのブランド価値を世界に示すこととなったのです。
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確固たるブランドの価値はこれからも紡がれる
世界の名だたるジュエリーブランドと比べると、まだ創業100年に満たない歴史のハリー・ウィンストン。しかしながら、そのブランド価値は世界中で認められています。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
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