ストーンヘンジが世界遺産に登録された理由とは?歴史・構造・謎を詳しく解説
ストーンヘンジは、イギリス南部のウィルトシャー州ソールズベリー平原に残る先史時代の巨石遺跡です。
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巨大な石が円形に並ぶ姿で広く知られていますが、その価値は石の大きさや珍しい外観だけにあるわけではありません。
周辺には土塁、溝、墳墓、道、住居跡などが広がり、先史時代の人々の信仰、死生観、技術、社会的なつながりを伝える文化的景観を形成しています。
ストーンヘンジの建設は、紀元前3000年ごろに始まったと考えられています。
ただし、一人の王や一つの民族が短期間で完成させた建造物ではありません。
およそ千年以上にわたり、複数の世代が石や木柱の配置を変えながら利用してきた複合的な遺跡です。
名称に含まれるヘンジとは、一般に円形または楕円形の土塁と溝を持つ先史時代の遺構を指します。
もっとも、典型的なヘンジでは土塁の内側に溝がありますが、ストーンヘンジでは溝が土塁の外側にあります。
そのため、考古学上は一般的なヘンジと異なる特徴を持つ存在でもあります。
ストーンヘンジの建造過程
最初に造られたのは石の環ではない
現在の象徴的な巨石群より先に築かれたのは、円形の溝と土塁でした。
紀元前3000年ごろ、人々は直径約100メートルの範囲を囲むように溝を掘り、その内側にオーブリー・ホールと呼ばれる穴を設けました。
穴の一部からは火葬された人骨が発見されています。
このため、初期のストーンヘンジはイギリスでも特に古く、規模の大きな火葬墓地の一つだったとする見方があります。
巨石を使った祭祀施設になる以前から、死者や祖先に関係する特別な場所だった可能性が高いのです。
サーセン石による壮大な建造物
紀元前2500年ごろになると、サーセン石と呼ばれる大型の石が運び込まれました。
主要なサーセン石の一部は高さ4メートルを超え、地中に埋まった部分を含めるとさらに長くなります。
重さが20トンを超えるものもあり、中央部にはより大型の石も使用されました。
外周では直立石の上に横石を載せ、連続する輪を造っていました。
中央には、2本の直立石に1本の横石を架けたトリリトンが馬蹄形に配置されています。
中央に近いものほど高くなる構成には、空間を劇的に見せる設計意図が感じられます。
サーセン石には、木造建築に似た継ぎ手が施されています。
直立石の上部に突起を造り、横石の穴にはめ込むほぞ継ぎや、隣り合う横石を連結する凹凸の加工などです。
金属製の重機が存在しない時代に、巨大な石を整形し、安定した環状構造を築いた技術力は驚くべきものです。
遠方から来たブルーストーン
ストーンヘンジには、サーセン石より小型のブルーストーンも使われています。
ブルーストーンは単一の岩石名ではなく、濡れたり割れたりしたときに青みを帯びて見える複数種類の石材の総称です。
多くはストーンヘンジから200キロメートル以上離れたウェールズ西部、プレセリ丘陵周辺に由来すると考えられています。
人々がそりや木材、ロープを使って陸上を運んだのか、水路も利用したのかについては議論が続いています。
具体的な経路は確定していませんが、遠方の石を意図的に選び、運んだ可能性は、当時の人々が広域的な交流網と高い組織力を持っていたことを示します。
巨石はどのように組み上げられたのか
サーセン石の一部は、現在のマールバラ・ダウンズ周辺から運ばれたと考えられています。
実際の運搬方法を記録した文書はないため、木製のそり、丸太、植物性のロープなどを利用したという説が実験考古学によって検証されています。
直立石を設置するときは、まず片側が斜面になった穴を掘り、石の一端を穴へ入れます。
次にロープなどで石を引き起こし、根元の隙間を石や土で固めたと推定されています。
横石については、木材で足場を組んで少しずつ持ち上げる方法や、土の傾斜路を利用する方法などが考えられています。
重要なのは、建設が純粋な力仕事ではなかった点です。
採石、加工、運搬、建設には、多数の人員をまとめる指導力と、作業する人々へ食料や住居を供給する仕組みが欠かせません。
ストーンヘンジは、先史時代の社会が高度な知識と協力体制を持っていたことを形として伝える遺産なのです。
ストーンヘンジは何のために造られた?
太陽の動きと季節の儀礼
ストーンヘンジの中心を通る主要な軸は、夏至の日の出と冬至の日の入りのおおよその方向に対応しています。
北東側にあるヒール・ストーン付近から夏至の太陽が昇り、反対方向には冬至の太陽が沈みます。
この配置から、ストーンヘンジは古代の天文台だったと説明されることがあります。
しかし、現代的な意味での観測施設と断定するのは適切ではありません。
太陽の運行を確認する機能があったとしても、それは季節の祭り、農耕暦、死者への祈りなどと結び付いた象徴的なものだった可能性があります。
特に冬至の日没が重要だったとする見方があります。
冬至は昼が最も短くなり、その後は再び日が長くなる転換点です。
太陽の再生を祝う儀礼が行われていた可能性も考えられています。
墓地と祖先祭祀の場
ストーンヘンジの内部や周囲から火葬骨が発見されていることは、遺跡の目的を考える重要な手掛かりです。
初期には墓地として使われ、後に巨石によって祖先や死者とのつながりを表現する場所へ発展したという説があります。
耐久性の高い石が死者や祖先を、朽ちる木が生きる人間を象徴したという解釈もあります。
周辺のダリントン・ウォールズでは木柱を用いた大規模な施設や住居跡が見つかっており、両者がエイヴォン川を介して儀礼的に結ばれていた可能性があります。
人々を結ぶ交流の中心地
周辺から出土した動物骨や人骨の科学分析により、地域外から来た人々が集まっていた可能性も明らかになっています。
大勢で祝宴を行い、共同作業に参加すること自体が、異なる集団の結び付きを強めたのかもしれません。
ストーンヘンジには、埋葬、祖先祭祀、季節の儀礼、集会、共同体の統合など、複数の役割があったと考えるのが自然です。
千年以上にわたり利用されたため、目的が時代とともに変化した可能性もあります。
ストーンヘンジが世界遺産に登録された理由
1986年に世界文化遺産へ登録
ストーンヘンジは1986年、エーヴベリーおよび周辺の関連遺跡とともに、ユネスコの世界文化遺産へ登録されました。
正式な登録名称は、ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群です。
世界遺産の対象は、有名な環状列石だけではありません。
土塁、墳墓、道、集落跡、地下に残る遺構、各施設の位置関係を理解するための景観も重要な構成要素です。
先史時代の創造性を示す傑作
登録理由の一つは、ストーンヘンジとエーヴベリーが先史時代の建築・工学上の傑作であることです。
石材を遠方から集め、加工し、天体の動きや地形を意識しながら配置するには、優れた観察力と技術が必要でした。
特にストーンヘンジでは、横石を連続させた環状構造や精密な継ぎ手が用いられています。
一方、エーヴベリーには非常に大規模な環状列石があり、現在の村を取り囲むほどの広がりを持ちます。
両者は異なる方法で、先史時代の人々の創造性を示しています。
信仰や社会を伝える考古学的証拠
遺跡群は、新石器時代から青銅器時代にかけての葬送習慣、祭祀、社会構造、土地利用を知るための重要な証拠です。
周囲には多数の墳墓があり、埋葬された人々や副葬品を調べることで、当時の身分、移動、地域間交流について研究できます。
ストーンヘンジだけを切り離して見ると、石の目的は分かりにくいままです。
しかし、道や川、住居跡、墳墓との関係を見ることで、人々が遺跡へどのように近づき、儀礼を行い、死者を葬ったのかを立体的に考えられます。
この景観全体に情報が残っていることが、世界遺産としての大きな価値です。
世界遺産の登録基準
ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群には、世界遺産の登録基準のうち、主に基準(i)、(ii)、(iii)が適用されています。
人類の創造的才能を表す傑作であること、建築や技術などにおける価値観の交流を示すこと、すでに失われた文化的伝統や文明を伝える貴重な証拠であることが評価されています。
つまり、巨大な石が残っているから登録されたのではありません。
建造技術、天体との関係、儀礼的景観、社会的協力、広域交流といった複数の価値が高く評価されたのです。
エーヴベリーと周辺遺跡にも注目
世界遺産を理解するには、約30キロメートル離れたエーヴベリーも欠かせません。
エーヴベリーには巨大な土塁と溝、複数の環状列石があり、ストーンヘンジとは異なる規模と構成を持っています。
周辺には、ヨーロッパ最大級の人工墳丘として知られるシルベリー・ヒル、長い墳室を備えたウェスト・ケネット・ロング・バロウ、石を並べた道であるウェスト・ケネット・アベニューなども残されています。
これらは孤立した記念物ではなく、人々の移動や儀礼によって結ばれていたと考えられます。
世界遺産としての本質は、個々の石ではなく、複数の遺跡が織り成す先史時代の景観にあります。
ストーンヘンジをめぐる謎と伝説
魔術師マーリンが造ったという伝説
中世には、魔術師マーリンがアイルランドから巨石を運び、ストーンヘンジを築いたという物語が語られました。
もちろん、考古学的に推定された建造年代と伝説の時代は一致しません。
しかし、この物語は、建造方法が理解できなかった後世の人々が遺跡へ抱いた畏敬を伝えています。
ドルイドが建てたわけではない
ストーンヘンジを古代ケルトの祭司ドルイドと結び付けるイメージも有名です。
しかし、主要部分が建造された時期は、歴史資料に登場するドルイドの時代よりはるかに古いため、ドルイドが建設したという説は現在の考古学では支持されていません。
現代のドルイド系団体が儀礼を行うことはありますが、それは遺跡が長い歴史の中で新たな意味を与えられてきた例として捉える必要があります。
宇宙人建造説が支持されない理由
巨大な石を古代人が動かせるはずはないとして、宇宙人の技術を持ち出す説もあります。
しかし、実験考古学では、木製のそり、ロープ、てこ、足場などを組み合わせれば、人力による運搬や設置が可能であることが示されています。
詳細な工法が未解明であることと、人間には建造不可能であることは同じではありません。
ストーンヘンジの価値は、むしろ限られた道具を用いて大事業を実現した人々の知恵と協力にあります。
科学調査で分かってきたこと
ストーンヘンジでは、放射性炭素年代測定、岩石分析、同位体分析、地中レーダー、磁気探査などが利用されています。
これらの方法により、建造年代や石材の産地、埋葬された人々の出身地、地下に残る遺構の位置が少しずつ明らかになっています。
歯や骨に含まれる元素を調べると、その人物が幼少期を過ごした地域や食生活を推定できる場合があります。
また、動物骨の分析からは、祝宴のために遠方から家畜が運ばれた可能性も読み取れます。
非破壊の地中探査は、遺跡を大きく掘らずに地下の情報を得られる点で重要です。
現在地表に見えている巨石は、遺跡全体の一部にすぎません。
地下には、柱穴、溝、墓など、当時の景観を復元する手掛かりが残されています。
世界遺産を未来へ残すための保存活動
ストーンヘンジの石は、長い年月の中で倒壊や傾斜、風化にさらされてきました。
近代以降には倒れた石を起こしたり、不安定な石を補強したりする保存修復も行われています。
そのため、現在の姿は自然に残った状態だけでなく、歴代の保護活動によって支えられた姿でもあります。
観光客による地表の摩耗や地下遺構への影響を抑えるため、通常の見学では巨石群の内側へ自由に入ることはできません。
離れた遊歩道から見学する方式は、来訪者の体験と文化財保護を両立させるための措置です。
周辺道路の交通量や道路整備計画も大きな課題です。
道路を地下化すれば地上景観が改善する一方、工事が未知の地下遺構へ影響を与えるおそれがあります。
保存すべき対象が石そのものだけではなく、眺望、地形、地下遺構を含む文化的景観全体であるため、慎重な検討が求められています。
現地見学で注目したいポイント
現地では、外周を形づくるサーセン石、中央のトリリトン、比較的小型のブルーストーン、北東側のヒール・ストーンに注目すると構造を理解しやすくなります。
遺跡の中心軸と太陽が昇り沈む方向を意識するのもよいでしょう。
ビジターセンターでは、出土品、復元模型、映像資料などを通じて、先史時代の暮らしや建造工程を学べます。
復元された住居を見ると、ストーンヘンジを造った人々が決して神話上の存在ではなく、食事をし、道具を作り、家族や仲間と暮らした人間だったことを実感できます。
夏至や冬至の時期には通常と異なる運用が行われる場合があります。
訪問する際は、開館時間、予約、交通手段、立ち入り可能な範囲について、管理団体の公式情報を事前に確認することが大切です。
まとめ
ストーンヘンジは、巨大な石を円形に並べた不思議な建造物であると同時に、先史時代の人々の技術、信仰、死生観、交流を伝える貴重な記録です。
長距離から石材を運び、精密に加工して組み上げるには、豊富な知識と大規模な協力が必要でした。
世界遺産に登録された理由も、巨石の外観だけにあるのではありません。
ストーンヘンジ、エーヴベリー、墳墓、道、集落跡、地下遺構が一体となり、人類の創造性と先史時代の文化を伝えていることが評価されています。
用途や建造方法には未解明の部分が残りますが、何も分かっていない遺跡ではありません。
科学的な調査によって、多くの事実が着実に明らかにされています。
残された謎を楽しみながら、石の背後にいる人々と、その記憶を守り続ける意義に目を向けることが、ストーンヘンジの本当の価値を理解する第一歩です。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
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