ピザの歴史とは?古代の平焼きパンからナポリ、日本への普及までを解説
ピザは世界中で親しまれている料理ですが、その歴史を一つの年代や人物だけで説明することはできません。
お宝エイドでは郵送いただいた「お宝」を換金し、ご指定いただいたNPO団体の活動原資として送り届けます。この機会にお宝エイドでの支援活動をはじめてみませんか。
※もし、ご支援される際に「譲渡所得税」や「寄付金控除」についてご心配の場合は、ご支援される団体様までお問合せください。
小麦粉を使った平焼きパンは古代から存在し、そこへオリーブ油や香草、チーズなどを添える食文化も各地にありました。
さらに、新大陸からヨーロッパへ伝わったトマトが南イタリアの食卓に加わり、港湾都市ナポリの暮らしや職人の技術と結び付いたことで、現在のピザに近い料理が成立しました。
したがって、ピザの歴史を知るには、遠い前身である平焼きパンと、ナポリで発展した現代的なピザを分けて考える必要があります。
一般に、トマトなどの具材をのせた生地を高温の窯で焼く現代的なピザの発祥地は、イタリア南部のナポリとされています。
ピザの原型となった古代の平焼きパン
古代エジプトで発達したパン作り
人類は古くから穀物を粉にし、水と混ぜて焼いてきました。
なかでも古代エジプトでは、小麦を使ったパン作りや発酵の技術が発達したとされています。
生地を平らにして焼く方法は、複雑な型や設備を必要とせず、多くの地域で利用できる合理的な調理法でした。
ただし、古代エジプトのパンをそのままピザと呼ぶことはできません。
生地を作り、平たく焼くという基礎的な技術が、後世の地中海沿岸におけるパン文化を支えたと捉えるのが適切です。
古代ギリシャとローマの食べ方
古代ギリシャでは、平らなパンにオリーブ油や香草、チーズなどを添えて食べる習慣があったと伝えられています。
古代ローマでも、パンは日常生活に欠かせない食物でした。
平焼きパンは食材をのせる台や皿のような役割を果たすこともあり、油、野菜、果実、乳製品などと組み合わせられました。
この食べ方にはピザと共通する要素があります。
しかし、当時のヨーロッパにはトマトが存在せず、生地の作り方や焼成設備も現在とは異なっていました。
古代の平焼きパンは、あくまでピザへつながる長い食文化の前史です。
「ピザ」という言葉の古い記録
「pizza」という語の最古級の記録としてよく挙げられるのが、997年に南イタリアのガエータに関係する文書です。
この記録から、少なくとも10世紀末には、ピザに相当する名称が南イタリアで使われていたことが分かります。
もっとも、文書に登場するピザが、トマトソースやチーズをのせた現在のピザと同じものだったわけではありません。
当時の具体的な形や材料には不明な点が多く、名称の古い記録と料理としての完成時期は区別する必要があります。
ピザの語源についても、パンを意味する言葉に由来する説や、押しつぶす、かむといった動作に関係する説などがあります。
複数の言語や文化が交流した南イタリアの歴史もあり、語源を一説だけに断定するのは難しいとされています。
トマトの伝来がピザを変えた
トマトはヨーロッパ原産ではない
現代のピザを象徴するトマトは、もともとヨーロッパに自生していた作物ではありません。
南米大陸を起源とするトマトは、新大陸とヨーロッパの交流が進んだ16世紀ごろに持ち込まれました。
伝来直後のトマトは、観賞用として扱われたり、有害な植物ではないかと警戒されたりした時期もありました。
その後、ヨーロッパ各地で食用としての利用が徐々に広まり、温暖な南イタリアでは庶民の料理にも取り入れられていきます。
トマトとパン生地の出会い
トマトは酸味とうま味があり、比較的簡素なパン生地に味わいと彩りを加えられる食材です。
南イタリアでトマトをつぶして生地にのせ、窯で焼く食べ方が広まったことは、現代的なピザが成立する大きな転機となりました。
ただし、ピザは必ずしもトマトを使う料理ではありません。
オリーブ油、ニンニク、チーズなどを使ったトマトなしのピザも存在します。
現在もトマトソースを使わないものは、白いピザを意味する「ピッツァ・ビアンカ」などと呼ばれています。
18世紀のナポリで庶民食として発展
港湾都市の暮らしに適した料理
18世紀から19世紀にかけてのナポリは、多くの人が暮らす活気ある港湾都市でした。
街で働く人々にとって、安価で腹持ちがよく、短時間で食べられる食事は重要です。
小麦粉を主体とするピザは、限られた材料でも作ることができ、一枚で食事になる合理的な料理でした。
焼き上げたピザは店内だけでなく、露店や行商でも販売されました。
持ち帰ったり、折りたたんだりして食べられるため、忙しい都市生活とも好相性でした。
現在のピザは華やかな外食メニューという印象がありますが、出発点にはナポリの庶民の暮らしがあります。
ピッツェリアと職人の登場
ピザを専門に焼く店が発達すると、生地の配合、発酵の見極め、手で延ばす方法、窯の温度管理といった技術も洗練されました。
ピザ職人はイタリア語で「ピッツァイオーロ」と呼ばれます。
材料が簡素なピザほど、職人の技術が仕上がりに大きく影響します。
同じ小麦粉、水、塩、酵母を使っても、発酵時間や生地の扱い方、窯へ入れるタイミングによって、食感や香りは変わります。
ピザの歴史は、レシピだけではなく、職人が身体で受け継いできた技の歴史でもあります。
マルゲリータ誕生の有名な逸話
王妃のために作られたという物語
ピザの歴史で特に有名なのが、1889年のマルゲリータ誕生にまつわる逸話です。
ナポリを訪れたイタリア王妃マルゲリータのために、ピザ職人ラファエレ・エスポージトが数種類のピザを作り、そのうちの一つが王妃に気に入られたと伝えられています。
そのピザには、赤いトマト、白いモッツァレラ、緑のバジルが使われていました。
三色がイタリア国旗を連想させることから、王妃の名を取って「マルゲリータ」と名付けられたという物語です。
料理の発明と名称の由来は分けて考える
この逸話は広く知られていますが、トマト、チーズ、バジルに近い組み合わせのピザは、それ以前にもナポリで食べられていたと考えられています。
そのため、エスポージトが材料の組み合わせを一から発明したと断定するのは適切ではありません。
王妃に関する物語は、マルゲリータという名称が定着し、ナポリの庶民食だったピザが上流階級や国外からも注目される契機を説明する逸話として捉えるとよいでしょう。
ピザ窯と道具が支えた職人文化
高温で焼く薪窯の役割
伝統的なナポリピッツァは、高温になった薪窯で短時間に焼き上げます。
窯床から伝わる熱、炎や熱気による熱、窯内部の蓄熱が組み合わさることで、生地の縁が大きく膨らみ、表面に香ばしい焼き斑が生まれます。
窯は単なる加熱設備ではありません。
内部の形、耐火材の性質、開口部の大きさ、薪の置き方などが焼き上がりに関係します。
長年使われた窯の煤や摩耗、補修跡には、その店が積み重ねてきた営業と職人仕事の痕跡が残されています。
ピザピールに表れる工夫
生地を窯に入れたり、焼成中に回転させたり、焼き上がったピザを取り出したりする道具がピザピールです。
長い柄を備えた円形または角形の道具で、木や金属が使われます。
投入用と回転用で大きさや形を使い分ける職人もいます。
使い込まれたピールには、熱による変色や傷、持ち手の摩耗が見られることがあります。
こうした使用痕は新品としての価値を下げる要素に見える一方、道具が実際の現場で果たしてきた役割を物語る記録でもあります。
店名、職人名、使用年代が分かるものは、食文化を伝える資料や展示品としても活用できます。
移民とともにアメリカへ渡ったピザ
19世紀末から20世紀初頭にかけて、多くのイタリア人がアメリカへ移住しました。
移民は故郷の食文化も持ち込み、イタリア系住民が暮らす都市を中心にピッツェリアが開かれました。
ニューヨークでは、大きく薄いピザを一切れ単位で販売するスタイルが発達しました。
一方、シカゴでは深い型を用い、具材やチーズ、ソースをたっぷり入れたディープディッシュが知られるようになります。
こうした違いは、単なるレシピの変化ではなく、地域の食材、調理設備、販売方法、住民の好みに適応した結果です。
20世紀には外食チェーン、家庭用オーブン、冷凍・冷蔵食品、持ち帰りや宅配サービスが発達しました。
ピザはイタリア移民の地域料理という枠を越え、アメリカ全土から世界各地へ普及していきました。
日本におけるピザの歴史
戦後のレストランから家庭へ
日本では、戦後に外国人向けの飲食店やホテル、イタリア料理店などを通じてピザが知られるようになりました。
国内における最初の提供店には複数の説があり、特定の一店だけを日本の唯一の発祥と断定するには注意が必要です。
その後、乳製品や洋風食材が一般家庭にも浸透し、冷凍・冷蔵ピザや市販のピザソースも登場しました。
オーブントースターなどの調理家電が普及すると、家庭でもピザに似た料理を手軽に作れるようになります。
ピザトーストと宅配ピザ
日本では、食パンにトマトソース、チーズ、タマネギ、ピーマンなどをのせて焼くピザトーストも親しまれてきました。
これは伝統的なナポリピッツァとは異なりますが、日本の喫茶店文化や家庭の調理設備に適応した独自の料理です。
1980年代以降は宅配ピザが広がり、ピザは家庭で楽しむ外食メニューとして定着しました。
照り焼きチキン、マヨネーズ、コーン、魚介類などを使った商品も増えています。
海外から伝わった料理をそのまま再現するだけでなく、日本人の味覚や食生活に合わせて変化させたことが、日本のピザ文化の特徴です。
ナポリのピザ職人の技が無形文化遺産になった理由
2017年、「ナポリのピッツァ職人の技」はユネスコの無形文化遺産に登録されました。
登録の対象は、完成したピザという食品だけではありません。
生地を作り、手で延ばし、具材をのせ、窯の状態を読みながら焼く技術や、職人同士で知識を受け継ぐ文化的な営みが評価されています。
これは、料理の価値が材料や価格だけで決まらないことを示しています。
職人が働く店、薪窯、ピザピール、こね鉢、レシピ帳なども、技術の継承を支える大切な存在です。
人、場所、道具のつながりによって、一枚のピザが生み出されています。
古いピザ道具や店舗資料を再利用するには
閉店や改装で使われなくなった窯、ピザピール、看板、食器、メニューボードなどは、すぐに廃棄せず、状態と来歴を確認することが大切です。
業務用の窯は重量や構造、燃料、安全基準などの問題があるため、専門業者による点検なしに再使用するべきではありません。
木製器具も、割れ、反り、焦げ、カビ、衛生状態を確認する必要があります。
調理器具として安全に使えない場合でも、店舗装飾、撮影用小道具、地域資料、食文化を紹介する展示物として活用できる可能性があります。
店名、製造者、使用年代、職人名、修理履歴、使用中の写真などを一緒に残せば、モノの背景が分かりやすくなります。
古い道具の価値は、希少性や換金性だけでは測れません。
どの店で誰が使い、どのような料理を作っていたのかという情報が加わることで、その道具は地域や職人の記憶を伝える資料になります。
まとめ:ピザの歴史は人と道具がつないだ食文化
ピザには、古代の平焼きパンに始まる長い前史があります。
新大陸からトマトが伝わり、南イタリアで食材として定着した後、18世紀から19世紀ごろのナポリで現代的なピザが庶民食として発展しました。
その後はイタリア移民とともにアメリカへ渡り、外食産業や冷凍技術、宅配サービスを通じて世界中へ広がっています。
日本でも、レストランの料理、喫茶店のピザトースト、家庭用商品、宅配ピザなど、時代に応じた形で受け入れられてきました。
ピザの姿が地域ごとに異なるのは、それぞれの暮らしや設備、食材に合わせて工夫されてきたためです。
そして、その歴史を支えたのは有名な料理人だけではありません。
生地を作った職人、街でピザを売った人々、移民、窯を築いた人、道具を手入れした人など、多くの存在が関わっています。
使い込まれた窯やピザピール、古い看板やメニューも、こうした文化を伝えるモノです。
不要になったときには価格だけで判断せず、来歴を記録し、再利用や保存の可能性を考えることが、ピザの歴史を次の世代へつなぐ一歩になります。
お宝エイドでは様々な物品を通じたNPO団体の支援を行うことが出来ます。お宝エイドでは郵送いただいた「お宝」を換金し、ご指定いただいたNPO団体の活動原資として送り届けます。あなたもお宝エイドでの支援活動をはじめてみませんか。
(KOBIT編集部:Fumi.T)
あわせて読みたいおすすめ記事
RECOMMEND