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今はだれが使っているんだろう? 私が処分したフィルムカメラ・レンズ

#カメラの寄付

▲ 現像済みのフイルムを確認する「ライトボックス」。フィルムカメラでの撮影は、フィルム交換・フィルム現像など何かと手間がかかる。しかし、愛好家の中には、「この手間こそが愛おしい」という人もいるようだ。
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使わなくなったカメラのその後が気になる

58歳になる今までに2度、手持ちのカメラとレンズをまとめて処分したことがあります。

そのカメラなどについて、「その後、どうなったのかなあ」と想像することがあります。

カメラ・レンズは耐久消費財で、しかも、中古市場も活発だからでしょう。「その後も長くだれかが使っている」と、つい信じてしまうのです。

フィルムカメラ・レンズのほうがデジタルよりも長く使われる理由

フィルムカメラとデジタルカメラを比べると、新品で流通していた時代が古いにもかかわらずフィルムカメラの方が息が長いようです。

デジタルカメラ、それもデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)ならば多くの場合、バッテリーは機種ごとの専用品です。

ほとんどマイナーチェンジしか受けていない後継機種であっても、しばしば変更されてしまいます。そのバッテリーは消耗品で、その流通がなくなれば、いくらカメラ本体が傷んでなくても使い続けることはできません。

これに対し、フィルムカメラのバッテリーは汎用品(はんようひん)ばかりで、後々まで手に入ることが多いのです。それどころか、1980年ごろ以前のものならば、電子部品は全く入っておらず、バッテリーも不要だったように覚えています。

Canon(キヤノン)からNikon(ニコン)へ

最初に手放したときは、CanonからNikonに乗り換えたことに伴うものです。

Nikonばかりの職場に異動

初めてカメラを買ったのは大学1回生のときで、Canon AE-1 Program(1981年発売)でした。そこからはしばらくCanon派です。

卒業して新聞記者となり、その後、変則的な人事で写真部に異動しました。当時は報道の世界でのカメラはCanonとNikonの2強状態とはいえ、Nikonが圧倒的でした。

写真部に着任するなり、「部内の機材は全部Nikonなので、Nikonに変えろ」と半ば強制されました。 その3年ほど後、転勤先の部内のアルバイト学生がCanonを譲って欲しいというので、そうしました。

仕事でもプライベートでもNikonしか使わなくなっていたのです。ボディーは先のAE-1 Programなど3台、レンズは数本だったと思います。

ピストルみたいだったCanon NEW F-1

ボディーのうちの1台は、Canon New F-1(1981年発売)でした。プロ用機材とされ、今では「歴史的名機」とも呼ばれています。

ネームの刻印サービスがあって、私が持っていたものは背面の右上に、私の名前がアルファベットで刻まれていました。 正直のところ、これは今でも触ってみたくなります。

手に持ったときの特徴は、「いかにも真鍮(しんちゅう)のかたまり」といった重量感で、本体だけでも約800グラムあります。単3電池を12本も使うモータードライブも付けていたので、全部で1キロ数百グラムにもなりました。

「ピストルを握ったのに近い感触」といった説明もあったと覚えています。警察が暴力団から押収した改造ピストルならば手に取ったことがあります。

それに似た、金属製ならではの、ひんやりとした感触とずっしりとした重みでした。 Canon New F-1は「手ににぎっただけでうれしい。シャッターを切るとさらにうれしい」といった道具でした。

フィルムカメラの処分が、その後の個人的デジタル化へ

2回めに手放したときは、それが目的ではなかったものの、フィルムカメラからデジタルカメラへの全面切り替えのきっかけになりました。

貸与の機材もあったが、私物も増えていた

新聞社写真部での仕事は、普段は個人に貸与された機材で撮っていました。超望遠レンズなどは、必要なときに部で共有しているものを持ち出します。

とはいえ、それら以外で使いたいレンズなどもあります。私物のNikonも増えていました。

「もう使わない」でカメラを手放したが……

その新聞社は、最も早い選択定年を使って退職しました。写真は趣味でも仕事でも撮らなくなりました。現在、ライター兼カメラマンを名乗っていますが、これはずっと後に再開してからです。

その長いブランクのときに、「もう使うことはないだろうな」と一眼レフのカメラボディーとそれ用のレンズはすべて処分しました。手元に残したのはコンパクトカメラだけです。

しかし、「いくら何でも、最小限の1セットだけはあったほうがいいか」と、すぐにボディー1台と標準ズームレンズ1本だけを買いました。 手放したものはすべてフィルムカメラとそれ用レンズでした。

一方、新しく買った1セットはデジタルです。また、その後もデジタルの機材を買い足しています。

関連記事:使わなくなった古いカメラの買取価値は?処分するなら支援の力に

使わなくなったフィルムカメラを買うのは若い女性?

自分用の機材としてはフィルムカメラは過去のものになっています。

「使い続けていて、しかも中古で購入までするのは、デジタルへの切り替えに失敗した中高年だろう」と思っていた時期もありました。

「どうやら違うらしい」と気が付いたのは、10年ほど前です。人気女優でオリンパスのデジタルカメラのCMにも出ていた宮﨑あおいさんが、「普段はフィルムカメラを持ち歩いている」と記事になっていました。

彼女に限らず、フィルムカメラを愛好する若い女性も多いのだとか。

また、最近読んだ記事では、もう1世代下でやはり女優の橋本愛さん、モデルの玉城ティナさんなどが、「フィルムカメラ女子」として紹介されていました。

どうやら、フィルムカメラの人気は一過性のものでもなさそうです。 こういった若い世代、しかも女性たちはフィルムカメラやそれで撮った写真に、私たち中高年には見つけられない新鮮さを感じているのでしょう。

その中高年が手放した機材も、こういった若い世代へと流れていっているようです。

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この記事を書いた人
KOBIT編集部:柳本学 KOBIT公式サイト
バブル世代。新聞社2社に勤務し、当初は取材記者で後に写真部員(カメラマン)に転向した。カンボジアでの「対人地雷で足を失った人たち用の義肢製作指導をする日本人」など、東南アジア各国で青年海外協力隊員を取材した経験もある。人物取材・ポートレート撮影ならば、スティーヴン・ホーキング(理論物理学者)、稲盛和夫(京セラ創業者)、松田聖子(歌手)、長谷川町子(漫画家)など。現在は関西在住で、フリーのライター兼カメラマン。

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