青森が生んだ世界のムナカタ。棟方志功の代表作と作品価値
今回は日本が世界に誇る「板画家・棟方志功」をテーマにお伝えします。
世界のムナカタと称された棟方志功とはどのような芸術家だったのか、彼の魅力と作品価値を解説します。
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ゴッホとの出会いで芸術家に。棟方志功の人生を知る
棟方志功は1903年9月5日、青森県の代々鍛冶職を営んできた家庭の三男として誕生しました。
幼い頃から絵画に興味を持ち、18歳の時に雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの「ひまわり」を見たきっかけに芸術家を目指したことで知られており、この時「わだばゴッホになる」と叫んだというのは有名な話です[1]。
1924年に東京へ上京した志功は、帝展や白日会展などに積極的に油絵を出品しましたが当初は落選続きで、はじめて入選したのが上京から4年が経った第9回帝展に出品した「雑園」という作品でした。
ゴッホに憧れ油絵を志した棟方志功でしたが、この頃から川上澄生の版画に魅了されたのをきっかけに木版画制作に没頭していきます。
1932年には第7回国画会展に出品した版画4点のうち3点がボストン美術館、1点がパリのリュクサンブール美術館に買い上げられたことで転機が訪れ、1936年の第11回国画会展に出品した「大和し美し」が出世作となって、以降木版画家としての人生を歩むこととなりました。
1942年からは、版画を「板画」と称し、絵と文字を同次元に扱い統合させた技法を確立させ、1956年には日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞し、「世界のムナカタ」として広く知られるようになったのです。
「板画家」棟方志功の代表作と価値
ゴッホに憧れ木版画として目覚めて以降、72歳の生涯を閉じるまで数々の作品を残してきた棟方志功。その代表作にはこのような作品があります。
- 二菩薩釈迦十大弟子(1939年作)
- 女人観世音板画巻(1949年作)
- 美魅壽玖鳥板壁画譜(1950年頃作)
- 華狩頌(1954年作)
- 花矢の柵(1961年作)
作品の特徴としては、女人をテーマに描いた大首絵の美人画や観音様の全身を描いたシリーズがありますが、作品点数が多くないため1点数百万円以上と希少価値が高いとされています。
版画の他にも紙に水彩などで描かれた倭絵の作品も見られますが、こちらでも数十万円以上の価値がつくとされ、初期の油絵については鑑定家の間でもめったにお目にかかれない作品と言われています。
お役目を終えた絵画に新たな価値を
ご両親や祖父母が大切にしていた絵画の中に、棟方志功の作品が眠っていたということもあるかもしれません。
もし、そうした絵画を遺品整理や断捨離を機に手放すのであれば、価値を必要としている方にぜひつなげて頂ければと思います。
お譲りできるご家族やご友人へ、あるいは買取を通じて新たな方の元へなど、価値のつなげ方は色々とありますが、お宝エイドでは、支援寄付という新たな価値を生み出す活動を行っています。
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(KOBIT編集部:Fumi.T)
<参考文献>
[1] 棟方志功記念館,「略歴/その生い立ち」,available at https://munakatashiko-museum.jp/biography/
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