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パスタの歴史とは?起源からイタリアでの発展、日本への伝来まで解説

スパゲッティやマカロニ、ペンネなど、現在では世界中で親しまれているパスタ。

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その歴史については、古代ローマで生まれた、中国から伝わった、アラブ世界の乾燥技術が原型になったなど、さまざまな説が語られています。

結論からいえば、パスタは特定の人物がある時点で発明した食品ではありません。

古代から各地に存在した小麦料理を背景に、保存技術や交易、イタリア各地の食文化、製麺技術が重なり、長い時間をかけて現在の姿へ発展したものです。

この記事では、パスタの起源に関する説を整理したうえで、イタリアでの普及、トマトとの出会い、製造の機械化、日本への伝来までを時系列に沿って解説します。

古いパスタマシンや製麺道具に残された、モノとしての文化的価値にも目を向けてみましょう。

そもそもパスタとは

パスタの歴史をたどる前に、パスタという言葉が指す範囲を確認しておきましょう。

イタリア語のパスタは、小麦粉などを水や卵と混ぜて作る生地、またはその生地を成形した食品を広く指します。

日本では細長いスパゲッティをパスタと呼ぶことがありますが、スパゲッティは数多くあるパスタの一種です。

ほかにも、筒状のマカロニやペンネ、板状のラザニア、蝶のような形のファルファッレ、具材を包んだラビオリなどがあります。

パスタは必ずしも細長い麺ではなく、地域の料理やソースに合わせて多種多様な形が作られてきました。

乾燥パスタと生パスタ

パスタは、大きく乾燥パスタと生パスタに分けられます。

乾燥パスタは、主としてデュラム小麦を粗くひいたセモリナと水を使い、成形後に乾燥させたものです。

長期保存や輸送に向いており、パスタが地域を越えて普及するうえで大きな役割を果たしました。

一方、生パスタは乾燥させずに食べるもので、普通小麦や卵を使う地域もあります。

イタリア北部の卵入りパスタをはじめ、土地の農産物や家庭の習慣を反映した多彩な製法が受け継がれています。

パスタの起源を一つに断定できない理由

小麦粉を水で練り、薄く延ばしたり、細く切ったりして食べる文化は、古代から複数の地域に存在しました。

そのため、似た食品の最古の記録だけを根拠に、現在のパスタを発明した国を決めることは困難です。

パスタの歴史を理解する際は、次の段階を分けて考える必要があります。

  • 小麦粉と水から生地を作るようになった段階
  • 生地を薄い板や麺状に成形した段階
  • 茹でて食べる食品として定着した段階
  • 保存可能な乾燥食品として生産された段階
  • 専門の職人や工場が商品として量産した段階

古代の小麦料理はパスタの遠い祖先と考えられますが、それが現代のスパゲッティやマカロニと同じだったとは限りません。

現在のイタリア式パスタは、地中海世界における文化交流と技術の蓄積から成立したと捉えるのが適切です。

古代ギリシャ・ローマにあったパスタの原型

パスタの原型としてしばしば紹介されるのが、古代ギリシャのラガノンや、古代ローマのラガヌムです。

これらは小麦粉から作った生地を薄く延ばした食品だったとされ、その名称はラザニアとの関係を思わせます。

ただし、ラガヌムが現代のラザニアと同じように茹でた板状パスタだったかどうかは明確ではありません。

焼いたり、ほかの食材と重ねたりした可能性もあり、現在の乾燥パスタとは製法や食べ方が異なっていたと考えられます。

古代ローマではパンや穀物の粥が重要な主食であり、小麦生地を利用した料理も食べられていました。

しかし、古代ローマ人が現在と同じスパゲッティを日常的に食べていた、という単純な説明はできません。

古代の小麦料理が示しているのは、後世のパスタへつながる発想が早くから存在したということです。

薄く延ばす、切り分ける、ほかの食材と組み合わせるといった技術が蓄積され、時代と地域を越えて変化していきました。

乾燥パスタの発展に影響したアラブ世界

現代のパスタ史を考えるうえで重要なのが、成形した小麦生地を乾燥させる技術です。

水分を減らした食品は傷みにくく、長距離の移動や航海にも適しています。

日差しが強く乾燥した地域や、交易が盛んな土地では、必要なときに茹でて食べられる乾燥麺が便利な保存食になりました。

アラブ世界では、イトリーヤなどと呼ばれる麺状食品が知られていました。

アラブ文化の影響を受けたシチリアにも、乾燥麺の製造技術が伝わり、発展したと考えられています。

12世紀のシチリアに残る記録

パスタ史の重要な史料として挙げられるのが、12世紀の地理学者アル=イドリースィーによる記録です。

その記述からは、当時のシチリアで糸状の食品が大量に作られ、船で各地へ輸出されていたことがうかがえます。

これはマルコ・ポーロが東方への旅から帰るよりも前の記録です。

中世のシチリアでは、乾燥した麺状食品が家庭内で作られるだけでなく、交易品として生産されていたと考えられます。

シチリアは地中海交通の要衝で、ギリシャ、ローマ、アラブ、ノルマンをはじめとする多様な文化の影響を受けました。

乾燥パスタも、特定の文化が単独で完成させたというより、人や技術が行き交うなかで改良された食品だったといえるでしょう。

マルコ・ポーロが中国から持ち帰ったという説は本当?

パスタの由来として有名なのが、マルコ・ポーロが中国の麺をイタリアに持ち帰ったという説です。

しかし、現在ではこの話をパスタ誕生の事実として扱うことはできません。

マルコ・ポーロが東方から帰還したのは13世紀末ですが、それより前の12世紀には、シチリアで乾燥麺が生産・輸出されていたことを示す記録があります。

イタリア半島にも、マルコ・ポーロ以前から麺状食品に関する記述が残っています。

もちろん、中国に非常に古い麺文化があることは確かです。

中国や中央アジア、地中海沿岸では、それぞれ小麦生地を細長く加工する技術が発達しました。

交易を通じて相互に影響した可能性も考えられますが、食品の形が似ているだけで、一方がもう一方の直接的な起源だとは証明できません。

マルコ・ポーロをパスタの発明者とするより、ユーラシア各地で生まれた麺文化の一つが、イタリアで独自の発展を遂げたと考えるほうが歴史の実態に近いでしょう。

中世から近世にかけてイタリアでパスタが普及

中世以降、乾燥パスタはイタリア南部を中心に生産されるようになりました。

乾燥させれば長期間保存でき、必要な量だけ茹でられるため、人口が増加する都市の食料として適していました。

特にパスタ文化の発展で知られるのがナポリとその周辺です。

この地域では小麦を加工する技術が育ち、自然条件を生かした乾燥も行われました。

天候を見ながらパスタを屋外に干す光景は、後世のナポリを象徴する風景の一つになります。

当初、パスタは現在のようにフォークで上品に食べるものとは限りませんでした。

茹でた長いパスタを手で持ち、上を向いて口へ入れる食べ方も見られたといわれています。

安価で腹持ちがよいパスタは、都市の庶民にとって重要な食品になっていきました。

需要が増えると、製造は家庭内の仕事から専門職人の仕事へ変わります。

生地をこねる、圧力をかけて押し出す、切る、乾燥させるといった工程が整えられ、製造や販売に関する規則も設けられました。

こうしてパスタは、郷土料理であると同時に、一定の品質を備えた商品になったのです。

トマトとの出会いがパスタ料理を変えた

パスタとトマトソースは切り離せない組み合わせに見えますが、両者が結びついたのはパスタの長い歴史のなかでは比較的新しい出来事です。

トマトはアメリカ大陸を原産とし、大航海時代以降にヨーロッパへ伝えられました。

当初は観賞用の植物として扱われたり、食用にすることを警戒されたりしたため、すぐに一般的な食材になったわけではありません。

その後、南イタリアを中心にトマトを料理へ利用する習慣が広がり、18世紀から19世紀にかけてパスタとの組み合わせが定着していきます。

酸味とうま味を持つトマトは、オリーブ油やニンニク、チーズなどと相性がよく、パスタ料理の幅を大きく広げました。

したがって、古代ローマや中世初期のパスタにトマトソースがかかっていたわけではありません。

それ以前には、チーズ、油脂、香辛料、野菜、肉などを用いた異なる食べ方がありました。

現在では伝統的に見える料理も、異文化から伝わった食材を受け入れて生まれたものなのです。

機械化によって近代のパスタ産業が誕生

パスタ製造では、硬い生地を十分に練り、均一な形に成形するために大きな力が必要です。

かつては人力や足踏み、簡単な圧搾装置などが使われていましたが、近代になると機械化が進みました。

生地を型から押し出す製麺機の発達により、スパゲッティやマカロニ、ペンネなどを効率よく作れるようになります。

押し出し口に取り付けるダイスの穴を変えることで、断面や太さ、表面の状態が異なる多様なパスタを製造できます。

パスタの形は見た目を楽しむためだけのものではありません。

筒の内部にソースを抱え込む、溝に濃いソースを絡ませる、薄い部分と厚い部分で食感を変えるなど、それぞれの形には料理上の機能があります。

さらに、温度と湿度を管理する人工乾燥の技術が発達すると、天候に左右されず安定した製造が可能になりました。

包装や鉄道・船舶による輸送、衛生管理の進歩も加わり、パスタは地域食品から世界へ流通する工業製品へ変化しました。

移民とともに世界へ広がったパスタ

19世紀後半から20世紀にかけて、多くのイタリア人が南北アメリカをはじめとする国外へ移住しました。

移民は家庭料理や食材、製造技術を移住先へ持ち込み、食料品店や飲食店を通じてパスタを広めます。

ただし、海外へ伝わった料理はイタリアのものをそのまま再現したわけではありません。

現地で手に入る肉や野菜、調味料を使い、地域の好みに合わせて味や量が変えられました。

こうした現地化により、それぞれの国に独自のパスタ料理が生まれます。

乾燥パスタの保存性も世界的な普及を後押ししました。

常温で保管しやすく、茹でれば主食になるため、家庭の常備食だけでなく、外食産業や集団給食でも活用されました。

パスタの歴史は、移民の歴史であると同時に、保存食品と国際流通の歴史でもあります。

日本にパスタが伝わった時期と普及の背景

日本では幕末から明治期にかけて、開港地の外国人居留地や西洋料理店などを通じ、マカロニやスパゲッティが知られるようになりました。

当初は誰もが日常的に食べるものではなく、西洋文化と結びついた珍しい食品でした。

やがて国内でもマカロニ類が製造されるようになり、戦後には食生活の洋風化とともに普及が進みます。

製麺技術の向上や大量生産、スーパーマーケットの拡大に加え、缶詰やレトルトのソースが登場したことも家庭での調理を容易にしました。

学校給食や喫茶店、洋食店でパスタに触れる機会が増え、スパゲッティは特別な西洋料理から身近な家庭料理へ変わっていきました。

日本独自のナポリタンと和風パスタ

日本におけるパスタ史を象徴する料理の一つが、ケチャップで味付けしたナポリタンです。

名前からナポリの伝統料理と思われることもありますが、現在一般的なナポリタンは日本で独自に発展した洋食です。

さらに、たらこ、しょうゆ、きのこ、納豆、海苔などを使った和風パスタも生まれました。

これらはイタリア料理の単なる模倣ではなく、日本の調味料や家庭料理、喫茶店文化とパスタが結びついた結果です。

食文化は、別の土地へ移ると現地の材料や生活習慣に合わせて姿を変えます。

ナポリタンや和風パスタも、パスタが日本で新しい価値を得た歴史の一部といえるでしょう。

古いパスタマシンや製麺道具が伝える文化

パスタの歴史は、料理や文献だけでなく、製造に使われた道具からも読み取れます。

家庭用の手回し式パスタマシンは、ローラーで生地を均一に延ばし、カッターで一定の幅に切る道具です。

鋳鉄や金属で作られた本体、木製のハンドル、テーブルに固定するクランプなどには、製造された時代の素材や加工技術が表れています。

工房や工場で使われた押し出し機、木製の乾燥枠、真鍮製のダイスなども、食品産業の歩みを伝える資料です。

特にダイスはパスタの形を決める心臓部であり、穴の配置や仕上げには職人とメーカーの工夫が凝縮されています。

古い道具に残る傷や変色、摩耗は、必ずしも価値を損なうものではありません。

どのような家庭や工房で、何を作るために使われたのかを伝える使用の痕跡でもあります。

製造者名や刻印、付属部品、取扱説明書、元箱が残っていれば、道具の来歴を知る手掛かりになります。

再び食品用として使う場合は、さび、ローラーや刃の摩耗、潤滑油の状態、食品に触れる素材の安全性を確認しなければなりません。

使用が難しいものでも、適切に清掃して展示する、産業資料として保存する、同型機の修理部品として役立てるといった利活用が考えられます。

古い製麺道具を捨てずに受け継ぐことは、一つのモノを残すだけでなく、その時代の食生活や家事、職人仕事の記憶を未来へ伝えることにつながります。

パスタの歴史に関するよくある疑問

パスタを最初に作った国はどこですか?

小麦生地を加工した食品は古代から複数の地域に存在するため、一つの国をパスタ発祥の地と断定するのは困難です。

現在のイタリア式パスタは、地中海世界の交流を背景に、シチリアやイタリア半島で体系化され、発展したものと考えられます。

スパゲッティとパスタは同じですか?

スパゲッティはパスタの一種です。

パスタという大きな分類のなかに、スパゲッティ、マカロニ、ペンネ、ラザニア、ラビオリなどが含まれます。

パスタは中国から伝わったのですか?

中国には古い麺文化がありますが、マルコ・ポーロ以前のシチリアにも乾燥麺の生産記録があります。

そのため、マルコ・ポーロが中国から初めてパスタを持ち帰ったという説は、現在では有力とはみなされていません。

昔からトマトソースで食べていたのですか?

トマトがヨーロッパへ伝わったのは大航海時代以降です。

古代や中世初期のパスタにトマトソースは使われておらず、パスタとの組み合わせが定着したのは18世紀から19世紀ごろです。

まとめ

パスタは、誰か一人が発明した食品ではありません。

古代の小麦料理、アラブ世界の乾燥麺文化、シチリアの交易、南イタリアの都市生活、トマトの伝来、近代の機械化などが重なり、現在の多彩なパスタ文化が形作られました。

マルコ・ポーロが中国から持ち帰ったという説は有名ですが、それ以前のヨーロッパにも麺状食品の記録があります。

中国と地中海世界のどちらか一方だけを起源とするのではなく、各地の技術と食文化が長い時間をかけて発展したものとして見ることが大切です。

日本でも、パスタはナポリタンや和風パスタへ姿を変え、独自の食文化を生み出しました。

さらに、手回し式パスタマシンや押し出し型といった古い道具には、製麺技術だけでなく、家庭や工房で営まれた暮らしの記憶が残されています。

一皿のパスタの背景には、保存する知恵、形を作る技術、海を越えた交易、食材を受け入れてきた人々の工夫があります。

その歴史を知ることで、普段何気なく使っている食品や調理道具にも、時代を越えて受け継がれてきた価値を見いだせるでしょう。

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KOBIT編集部:Fumi.T)

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