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青森ねぶた祭の歴史を紐解く~名前の由来や始まった目的など~

#ねぶた#ねぶた祭#青森県

毎年8月2日から7日にかけて、200万人以上の観客を魅了する青森ねぶた祭り。

国の重要無形民俗文化財として、また東北三大祭りの1つとしても全国的に知られるこの祭りの歴史を紐解きながら、由来や起源、始まった目的などをご紹介します。

青森ねぶた祭りはいつから何の目的で始まった?

青森ねぶた祭りの起源は定かとされていませんが、奈良時代に中国から伝わった「七夕祭」と、古来の津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化したのが始まりと推測されています[1]。

当初は、7月7日の夜に穢れを川や海に流し、禊の行事として灯籠を流して無病息災を祈ることが目的とされ、この名残りが現在の青森ねぶた祭りのメインイベントでもある海上運行に通じていると考えられています。

「ねぶた」の名前の由来

ねぶた祭りと言えば、大きなもので高さ5mにもなる「ねぶた」が街中を練り歩くのが特徴ですが、このねぶたは七夕祭における灯籠の役割を担っていたとされています。

ねぶたという名前は、七夕頃の夏の眠気を追い払う「眠り流し」という行事から来ていると考えられ、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」といった訛や方言で使われていたと言います。

この「眠り」のという言葉が「ねむた」→「ねぷた」「ねぶた」となまっていったとされ、青森県内でも弘前では「弘前ねぷたまつり」と言う名称で根付いています。

実は最初は小さかった?大型ねぶた誕生のきっかけ

青森ねぶた祭で現在のような歌舞伎をテーマとしたねぶたが用いられるようになったのは江戸時代に入ってからのことです。

しかしながら、当初のねぶたは大きなものは少なく、明治時代に入ってから徐々に大型化していき、現在のようなプロのねぶた師によって作られる大型ねぶたが登場したのは戦後からと言われています。

まとめ

ねぶたの歴史と大型化は、祭りの人気の高まりとともにあったと言ってもよいかもしれません。

2022年には新型コロナウイルスで中止されていた青森ねぶた祭りが3年振りに復活したことでも話題となりました。

こうした歴史を育んできた祭りが各地域で毎年開催されることは、日本の持続可能な社会の実現のために必要なことです。ただ、その裏には様々な課題もあり、青森ねぶた祭りでも、ねぶたを制作するねぶた師の継承や廃棄ねぶたの問題があります。

この辺りにつきましては、下記記事で詳しく触れていますので、ぜひ合わせてご覧いただき、青森ねぶた祭について、より深く知っていただくきっかけにしていただければ幸いです。

<関連記事>
ねぶた師とは?青森ねぶた祭りの主役を制作する存在の今を追う
青森ねぶた祭の裏側で。祭りの後のねぶたに新たな生命と価値を

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<参考文献>
[1] 青森ねぶた祭,「ねぶたの由来」,available at https://www.nebuta.jp/know/origin.html

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